『旧幕府 3巻6号』(旧幕府雑誌社) 1899.6 より
此度は賊徒大筒を用ひたる故、此方も大筒なくては勝ことならぬと皆人存哉。最初より町奉行所にても兎角大筒をと申、又其申立にてもありたるや。跡より御目付中川半左衛門へ御附の与力四人抱大筒を持参候様 遠藤殿より達にて、何れも百目 三十目筒抔持参にて東役所にて出逢たる節、貞は扨々不都合なる事と存、仮令頭の達にてもよく其技の利不利を考、心敏きものならば則に十匁を一挺持添て参るべき筈なるに、其心付なきは残念なり。
貞は十匁の打薬さへ減る程の所へ、大筒とは無益なる事にて、殊更不便利なりと思ひしが、果して場所にて間に合兼、勘兵衛抔は壱発も打得さりし。又三百目筒を東役所の門前迄持参りたるなど、余り鉄炮大小の利害御不案内なる事よりケ様の御差図有之と存、廿日に遠藤殿へ直に其段を申述、何卒鉄炮の事は術者に御任せ被下度、御不案内なる御差図にはさりとは困り入候。
勘兵衛抔は全く御差図にて百目を持参候故、場所にて一発も得打不申と申述べたれば、遠藤殿如何にも此方の不案内なる事を其儘不案内と申呉れたる段、何より忝事とて御賞美有之。
其節は、実に必死と成り居る処故、何事も存ずる通を 少も不憚申述たる故、甚過言ケ間敷事も度々あり。又押返して強て幾応も申述たる事もありて、跡にては甚恐入たる事にて、憚多き事を申たりと思ひし。併其時は唯一途になりて、少も余念なく、其上矢張遠藤殿為にもよかれがしと思ひて申せしことなり。
大筒の利用と云は、遠き所へ届て、堅き者をよく打摧か第一にて、三百目玉にては三十町も飛行なり。夫を東役所にて取用ひたらは、仮令賊徒を一人二人打貫たり共、其余りが御城の方へ飛ぶか、町中の人家の方へ飛ぶか、何れ玉先は四方共皆差支のある場所なれば、不存寄過をなし出すへく、又市中へ持出したらば、是も賊徒を打たる其玉の余勢にて、とこ其市民を打殺すは必定なれば、此度の様なる所にて、唯其物一時の勝負の利害はかりに拘らす、惣躰の得失を考て、跡にまで失の無き様にあらざれば、必竟は同士軍する同様の事にて、第一は 上の御仁恵を破る様なる過ありては、後々の毀りを招き、術士の不調法は扠置、差図せられし方も其誹は猶多かるへし。