『旧幕府 3巻6号』(旧幕府雑誌社) 1899.6 より
跡にて考みれば自分よりかくあれと求ても得られぬ事三ツ有り。是抔は全く運の好といふものなり。
先つ最初町奉行所へ出役を被達たる節、貞月番故貞へ被達たり。其時あなかち貞に参れとも誰に参れ共、名さしもなく、唯支配役壱人と計なれども、其時の心中に中々貞か参て寸功を立度抔と云了簡は曾てなく、外へ譲りては自分が憶したる様に思われ、其上火急の事も同役へ是から通達抔と云ては手間取事と存、直に貞可参と申て出たり。若此時同役が月番ならば矢張左様にあるべし。さらば貞は出ぬことなり。是ひとつ求て得かたき事にて、幸貞か月番故の事なり。
又奉行所にて京橋類役の広瀬治左衛門相談し、筋も一通りは何やらものもの敷も聞へたれ共、畢竟は憶して出くすみたる処抔より出たる事なり。
ケ様の節は、如何にも人の気の勇ましくなるやうにこそ処置可致ことにて少しにても尻込めきたる事は、総体の勇怯に響てあしき事なるを、右の中にある故、貞か返答はー入手強く申放たり。
是迚もあの方より左様の怯憶なる事を不申、跡より参て場所の拵(もせぬ故、矢張玉造は此処にて京橋にて場処へ可参)申さば、あなかち此方場所え参り度きとも思もはず。然らば其の通り迄申て、此方は役所の警戒に残るべきことなり。
然るを右の申口になる、貞返答一入手強く聞へ、此躰にては迚も京橋組は埒が明かぬと云ふ所より、貞に又場所へ参れ、京橋組は跡に残りて彼処を警戒せよとなりて、其上場所にての次第 勝利故、一入貞か声 聞よくなりたり。
是二つ。
また場所にて賊丸に陣笠を為打たるも、今少し身近く鉄砲の玉の通りたるか有ても、危き事は同事なれ共、跡に疵が付されば、誰壱人 危き事といふものなし。既に同心広瀬平五郎は一町目にて同心中並て打たる側の味方の鉄砲の巣口より出る火気にて、かふり居たる陣笠を刎ね飛されて、町家の軒の上へ刎揚られし。是は味方同士の事なれば、実は不外聞なることなれ共、危き事は同しことなり。
然るに 貞一人 陣笠の端へ敵の玉か中りて玉疵付たる故、誰にても危き事と存るなり。本多壱人こそ貞を覘ひ居たる賊を見付たり。其外に壱人も見付たるものなく、若 陣笠の疵なくは、唯虚誕を云様に聞ゆへし。陣笠の疵にて如何にも危き場合と聴人毎に存るなり。
此三つは此方よりもとめて、かやうにあれかしと思ひても、出来る事には無之。
又是より危き事は先へ進みし者は敵より打掛る玉はかりてなく、後の味方より打掛る玉も猶更多き事にて、小頭役の村田(田村)藤助か申には、
かゝる危き場にて無事に帰りし抔も、皆先代より徳沢の余慶にて運に叶ひしること恭存る事なり。