Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.29

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「咬 菜 秘 記」その29

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻7号』(旧幕府雑誌社) 1899.7 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔一件書出 砲撃〕

此方同心中 場所にて打たる玉数の所を吟味せしに、岡崎官兵衛は十五放打たるよしに付、是は虚誕也。貞漸く三放打たる除に如何に手早く込替たり共、十五放打べき様は決してなし。縦令一所に居ながら込替たりとも、小筒の込替た(左)様に可参筈なし。

貞が込替如何に不束なり共、同心中に負る事はなし。夫が込替ると駈出して少しも透間なく打たるは漸く三放なれば、左様の虚誕は以の外宣しからず。信実に申述る様にと厳敷申渡し、其上にて惣体の玉数一覧すれば、矢張玉数多く初度と再度の書き分けは出来ず、唯早合の数にて次(跡)からなら(調)べたる玉数の由なり。

唯玉数さへ多く打ては能と心得たる歟。如何程手早く玉数打たり共、打倒るゝものなくては何の詮もなく、反つて定(害)ある事と申聞せたり。

貞が心には何分合点の行ぬ程玉数多き故、再応調べさせて出したるに玉数もまた貞が心には合点の行ぬ程多く思ひしが、跡にて段々聞けは唯一所に居て無情に込替て覘ひもせず打たる由。

既に弥四郎抔自分の口から二三放は頬へも付けず、指にて火縄を持てさし火にて打たりと申たれば、其他は猶更の事にて如何にも玉数多き訳なり。是も至極場合の迫りて鎗合か太刀合かと云位の場ならは、指火にても打迯さぬ様にあるべし。もはや五間七間隔たりたる所は多分一発の玉も大事に掛けて打逃さぬ様に打つべきを、三四拾間も隔ちたる所にて唯心せきて夢中に打たるなれは、貞か存るより玉数は実に多く打たることなり。

打倒もの一丁目にて一人あり。是は玉疵何れに有しや改めもせず、唯遠目に見たるばかりなり。その上誰か打留めたるといふかどもなく、殊更賊卒躰の取に足らぬものと存じ其儘に捨置きたり。

堺筋にての一人も賊卒躰にて取るに足らぬものと思、其上 打込の中にて誰打留めたりと申廉もなきゆへ、其儘捨置きて疵も改めざりし。

然る処、弥四郎助蔵も其辺にて車台に取付居たるものを打留めたる様に存すると申、確と是とも得不申。唯一人は打留たる心持にて居る由申に付、貞申は車台に取付居たる者ならは其儘直に車台の蔭に倒れ居るべき筈なれとも、是は北手の軒下に倒れ居たる故、些 弥四郎 助蔵の打留めとも難申、必然 両人共左様に存する段は尤なり。如何様あの位場合を進み申心底は、屹度覘ひ申者なくては進めぬ訳なり。定めて確として覘ひたる者可有、夫故両人共打留たる様に存する事にて、其段は無理とは不存。併 何分慥に無き事故、貞が了簡にて夫々に相違なしとは不被申と申聞せたれば、両人とも打留のをば書出さゞりし。

跡にて米倉悼次郎が咄しを聞けぱ、右の打倒れし者も頭に玉疵ありて、余ほど大きく十匁玉の疵と見えたるよし咄しなり。是は悼次郎跡より後れて其場へ駈け来りて見請けたる儘の咄しなり。

十匁の玉疵ならば貞か為助熊次郎の三人の内なり。尤も為助も要水桶の影から首斗り出して貞を覘ひ居たるものを打たるの(が)、其ものは迯したれども、先のものへ中りたかと思ふ由なり。此玉筋ならば至極其通りに当りて倒れ居たり。

何分鉄砲戦ひの先にて打倒れものは、場合近く聢と一人を覘ひ打倒したるならば格外(別)、さもなく遠矢にて打込の中にては惣体の打倒しにて、其中屹度打留たるかども立兼る事なり。夫故右の賊卒の疵等は改めもせざりしが、其場にて疵だけにても能改置たらば少しは心得に可成、又十匁の小玉の疵は何れ能く分ることなり。

貞は唯 総体の打倒しにて誰と申す定は付難く、最初の内に打倒したりと思ひ、且 賊卒荷かつぎ位の者故、打留たりともさまで功と申程の事もなしと存、其儘疵さへ改めざりし。元来総玉数にして打倒れもの甚だ少なく、せめて五七人は打倒すべきことをと思ふなり。

貞が最初の一放打たる折は、辻に一杯人数見へて、これを覘てといふ弁別も付かたきほどにて、其節打たる場合四十間位なればさのみ迯すべしと思はず。貞も其場にて大勢の中故、是非一人位は打倒したる心得なり。

貞最初辻にて打つ時思ふに、市中の一町は何れ六十間より短く有るべく、殊に心せくときは玉を越さする者なれば、四五十間の心得にて越さぬ様に人の腹を覘ひたり。随分其辺のことは少し心得居たれ共、矢張玉を越させたりと覚ゆるなり。

扨貞が最初町奉行所を出る時、同心中へ申聞かせたるは、場所にて打時は必ず居敷て打可申、左なくば損多し。能く心得居よと差図致し置きたるを、唯一人其場にて居敷たるものなく、皆立たる儘にて打たり。貞斗は三放とも膝台にて打たれば、夫を見て為助も後に居敷たる由に咄しなり。居敷けば我体も少くなりて敵の玉を除る利あり。又我鉄砲もふれ少して覘ひがよくすはるなり。

貞が打倒せし梅田源右衛門が倒れ居たるとき、小玉の疵が喉にあつたりと申ことを中組同心岡崎重三郎申出せし由にて、遥跡にて塩漬にせし首迄内々改めに也たる由。其の事は貞は更に不存。段々糺され共小玉の疵もなく、中組同心もさのみ聢と申にても無き由。何か訳の分らぬ事にて、貞も後に其事を聞て何故左様の事を申出てたるや一向合点参らず。定て後にて辻口へ参りたる同心共、跡部の纏持が喉を石突にて突たる疵にても見付て、夫を小玉の中りたる疵と存たる歟。貞が心底同心中の功を横取して一分の手柄に致す処置等は、神以なきことなるを、左様に疑はれたる事、貞が以来の処置にも障り、迷惑に存るなり。

現在(顕然)貞が一放にて打倒たる所を誰も得見留ぬ故や。夫にては遥跡の瓦町の四辻辺にて彳み居て見得ぬ事か。併し如何に小玉にても喉へ中りてあるを、其儘大砲を取扱ひ居て跡の十匁玉にて倒れべき様もなく、又十匁にて倒れたる上は、四辻より西の筋へ仰向に倒れて、貞が進みて居たる所からさへ首の方は見へぬことにて、況んや跡よりは猶見へぬ所ゆへ、其時に小玉が喉へ中るべき筈はなく、何共合点の行かぬ申條哉と存じ、岡翁助へ両度迄申達て、同心三十二人呼集て翁助より吟味有之様にと申述べて、其後遠藤殿よりも直に段々懇命ありて、同心中も疑念なき旨を書付を差出したり。

尤東組支配下にては、決して左様には不及事にて、是は大分訳の有事歟。例 (側)より酸を乞ふたる人のある様子にて、さりとは心むさき事なり。同心中に貞が心に左様な非を致す人かと疑はれたる所も悔く存するれども、第一場処に参りたる為助が申口も慥にて、其上遠藤殿にも格別懇命あるゆへ、其儘にさし置きたり。


大塩の乱銃撃戦 発砲記録(幕府方)


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