Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.5.30

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「咬 菜 秘 記」その30

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻7号』(旧幕府雑誌社) 1899.7 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔鉉之助に中った玉〕

 十九日夜東役所より為助同道にて引取掛途中にて貞か申は、

併ながら夫に付、為心得話すこと有り。

と語りたり。 此度 貞か寸功を立てたるとて遠藤殿より過分の賞与に預り、其上銘刀抔給はりて厚忝き事なり。併 貞が所作 同心三十人も差配致すところにては不似合なる事にて、唯一己の功を争ふ様に批判申人も有るべく、此批判を受ては一言申訳のなきことにて、貞が心中にも徹して迷惑致す事なり。

併しなから、差掛たる場にては、外に計策の分別もなく、鉄砲の流義は荻野流 武衛流入組の同心中を以、俄に備立行伍等為整たり共、貞か下知の手際にて中々参るべくとは思はず。唯自分に人先へ駈出て引連て行くより外なしと無詮方いたしたる事にて、あなかち一己の功を争ふ心底は毛頭なく、ケ様の節に差配の行届歟、備立行伍等 正敷駈引自在なる様に下知の行届くことは容易の事には無之。

司馬穣且(苣)荘賈を切たる程の軍略ならては行届間敷、亦敵方 若剛敵ならば、此度の所作位にては是又行ぬ事にて、忽ち味方敗北となるべし。此度も貞が若し鉄砲に中りて討死になりたらば忽ち惣敗北となるへし。畢竟は弱敵にて、其上 貞が運も能かりし故、是度の寸功は立てしことなり。

毎も是にて能事とは決してせられぬものなり。


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