『旧幕府 3巻7号』(旧幕府雑誌社) 1899.7 より
十九日、貞が留守宅には、大筒の町打をする前にて、火薬夥しくありたる故、家内にては是を殊の外気遣ひ、長持二棹に入れたるまゝ裏の池の端に出し置、在方出入の百姓火事見舞に来りたる者一人え申付、其側に番を附置て、近火となりて火の粉も来る位になりたれば、其儘池水の中へなり共入て仕廻へき心得なりし由なり。
其外は先祖よりの位牌を具足櫃へ入すといはゞ具足櫃一荷持出すべき心得にて、具足櫃を明度とて家内打寄たれ共、鍵の在所貞が留守にて知れぬ故、無拠 錠を叩き明けて位牌を入置たる計。其外何一ツ片付たる品はなく、仲間中にては余程道具を片付け中には土蔵を塗りたる家も在りし由。
組屋敷廻りの高橋佐左衛門差図にて、銘々留守宅の火薬は土中え埋み置様に、と家々へ申触れたるに付、何方にても皆土中へいけ置て二十一日の大雨に会て、後 掘出したれば、これは皆用立ぬ事となりたり。
貞十九日の夜中に玉造御番所へ引取、翌早朝遠藤殿へ申乞て、宅にある大筒の向は悉く御櫓へ運び入させ、其節宅の火薬も長持の儘御櫓へ運び入、扨 仲間中に所持の火薬並に鉄砲も悉く御櫓へ入置きたる方安心にて可然と申したれ共、火薬はもはや土中へ埋めたる由なり。
此所の取計方も一通りの火事ならば土中へ埋め仕廻ても可然か、此度の異変の取計には、甚だ不心得なる取計ひなり。火薬抔は誠に当用の品にて、一粒にても至極大切にすべき所なり。土中に埋むる手間にて御櫓へ取集め置きたらば宜所置なり。
又家財を片付と云ふ心得も甚だ如何なり。此度の火災が銘々の自宅迄火のかゝる程に成行たらば、家内の生死も難計程のことにして、(幸にして)御城中等へ取込みたらんには、此節唯食物払底の時節故、せめて銘々家内の飯米だけにても御城中へ運び入れ置かば、ひだるきめにも逢ひまじく、既に貞は銘々宅にある飯米丈けは御櫓へ為運置て可然と申たりし。人々の心得方少 しの違ひの様にあれとも畢竟する所は天地雲泥の相違なり。ケ様の所の一事の処置にて、大低必死の場所の働きも推して知らるべき程の事なり。
明の成祖の乱に明の重臣胡儼 解縉其外六人、周是修と申合せ悉く倶に節に死すべき旨を約束して、成祖の呉江を渡りたる後、解より人を遣して胡の様子を覘せければ、胡厠へ行きて帰り、家人に問ふて云には、猪に餌を遣したか といふを聞て、解な(よ)り覘せに遣はしたる人帰りて、其由を解に告ければ、解が云には、一猪尚不捨肯捨性命申て笑ひし事あり。果して胡 解ともに節に死すること能はずして敵に降参したり。唯 周是修一人、節に死たり。一猪を愛惜する事は此度の家財を片付、土蔵を塗るの処置なるべし。
一端節に死すべしと約束ありとも、人の様子を覘ひ見て己が生死を斗るべき筈は無き事なるべし。夫を人の様子を覘ひに遣したる処置は、人をかたらひて討手の所(断)をいはんとせし処置にも似寄たる事也。