Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.6.4

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「咬 菜 秘 記」その35

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻7号』(旧幕府雑誌社) 1899.7 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔地矢倉のない大筒〕

平生は才気思慮を以て相応に取廻す技にても、元未熟練のなき技にて火急の場に臨みて心顛倒するも、按外なる仕損しをするものなり。

此度 此方より持出したる三百目玉筒并に百五十目玉筒ともに、仲間隠居小林専左衛門か取調にて地矢倉と(を)失念なり。二十日朝、百目筒の捻か見えぬ故貞に

と云ふ。貞 宅へ戻りて捻を出し、其序に百目筒の地矢倉を出したれば、夫と一緒に三百目の地矢倉も百五十目の地矢倉も宅に残りあり。縦令建矢倉は失念するとも地矢倉はなくて叶はぬものなるを、昨日取落したるは余りの失念なり。

何程大筒を仕掛け置きたりとも間に合はぬことにて、いさ打と云ふときは盲目打といふものなり。夫も初心の鉄砲(打)なれは不及是非。養父の高弟にて老輩の専左衛門がケ様の品失念は、余りの事と存る故、跡にて専左衛門へ其事を申たれは、専左衛門云ふには、

と云ふ。是は必竟負をしみと云るものにて、手の内の矢倉は遠町の矢玉を打時斗の用にて、其上 手の内の矢倉も地矢倉ありて其上にこそ用立ものなり。地矢倉なくては是も同じく用立兼るものなり。

此度の用は、第一近町にて玉の中りを打事なれは、地矢倉なくては畢竟鉄砲に目当のなきも同断にて更に用立ぬことなり。此の方の門中にて老先生と云人にケ様の不調法あれは他門の久松 石川の事も余り高くは云れぬ事なり。此度は何事なくて済たれはこそ、若 其大筒を用ゆるときになりたらば差支て狼狽すべし。

惣てケ様の事にて内裏を吟味すれは中々一つも埒か明たる事はなく、能く武備の心掛は薄く成行たる事にて、いつかと出来たる様に世間にて云るゝ玉造組も此次第なれは、其他は云に及はす。是と云も畢竟は平生武術を心掛るに信実誠意の薄して、唯今日の表向斗りを飾り、名聞の武術になり居る故なり。他方の事、彼是風聞も聞きだれとも書記し置くも余りに如何敷事斗なり。

是を以 熟々思慮すれば、武士たるもの、今日一技を学ぶにも名聞の念を露斗も持たずして、信実に戦場の要用をな(志)し、純粋に学ぶべきことなり。

扨事ある時に臨みては、何事も恩慮分外の不及事多く、殊に火急なる所にては猶更のことにて、平生其処の子細を考置事もならぬもの故、唯実意の誠より一筋に御奉公を存込居るより外は致方なく、其真実の誠にて少も私の勝手さたなく、一筋に御奉公第一と存入たる所より出てたる処置は、少々遅鈍にても筋もよろしく、若 ケ様にては後日に不調法にならん歟、斯 世話人に笑はれん抔と、私の事を先に案廻てはーツも埒の明ぬ事なり。

又己れの功を斗る心ありては、彼の表向取飾り斗りになりて、信実の処は甚た手弱く、反て功も立ぬ事になるべし。

唯誠忠の所より出てたる事は、其人の才能次第、甲乙はあれども何れ一筋に宜処置となるべし。此所は大切なる事にて自分の処置斗りにてもなく、人の功労を賞する上にも必 此の処【手僉】議あるべき事なり。


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