Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.6.4
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「咬 菜 秘 記」その38
坂本鉉之助
『旧幕府 3巻8号』(旧幕府雑誌社) 1899.8
より
◇禁転載◇
適宜、句読点・改行をいれています。
〔大塩の行方は〕
二十二三日の頃、遠藤殿へ貞が申述たるは、
大塩平八郎今程は何方に忍び居候哉、最早当地にてはある間敷、乍去、今一度何そ事を起し可申、中々一通りのものにてはなく、存命にさへあらは是非何事か起し可申、余程機変のあるものにて、平生の様子御存知なくては唯敗散とはかり思召候半歟。貞は一向安心不致、近き内には今一異変起し可申、乍然、最早や当地にてあるましく、若 遠国にて事を起さは何れ諸侯の家ならは興亡にかゝり申程の事は致しかねぬものにて有之
段 申述たり。
貞が心中にも、実に余程の機変あるものと推察し、唯淡路町一戦にて敗散したることにては済ぬことゝ思ひしか、最早や大阪の地には居ぬ事と存したるに矢張り大阪に忍び居たり。
外徒党のものは散亡させても平八郎一人は忍べる丈け存命て忍居、存命さへあらは何れ今一度事を起し可申心底にて、孫子か将の五危をいふて必生可虜とある所の智ありて勇なき者なり。
「咬菜秘記」その37
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