『旧幕府 第2巻第9〜10号』(冨山房雑誌部) 1898.9〜10 より
左様の節に至ては、貴兄之御頭様は万石以上の諸侯に候へは、相応の家臣等も有之、戦場の用に相立可申歟。
是迚も、一概当には成不申。
又 僕か頭は纔に三百俵や五百俵の小身にて、普代の家臣迚も無之、多くは、役中丈ケ平常の公務に馴れたる者を家来に雇入候事故、何その節は、一人も当には相成不申。
左様の節、急度此御城の一方をも堅固に警固致す処の御工夫は、如何候哉。
貴兄は御城附の御勤なれば、猶更御工夫 可有之の。
さあ其御工夫は如何々々
是等は唯一己の嗜にて僅に武夫一人前の事、夫を以一方を堅固に警固するとは申されす候。
頭の家来も何も頼みに致さす、一己の力を以 一方を守禦致す所の工夫に候
と申故、貞が答に、
定而 貴兄は御工夫之ある事と被存候。何卒 其工夫を承り度と申せば、
第一ケ条は、御公義様御法度之事決而相背間敷 抔ありて、数ケ条の末の一ケ条に、我々ともは、運拙くして同し人間に生れなから畜生同様、人間交りも出来ぬ身なれ共、伝へ承るに、漢土にて樊【口會】といふ人は屠者にて我々の仲間なれとも、時を得て王侯貴人に至られし事あれは、我々ともも 公義御法度を能く守り、今日悪事を致さす律義に職業を精出さは、後に時を得て人間交りの出来る事もあるへき間、此掟の條々を一統能く可相守といふ掟書の括りのケ條他。
其時、平八郎申は、此処にて候。
信仰の者は今世こそ穢多なれ、後の世には極楽浄土の仏にしてやろふと云を殊の外有難思ひ、本願寺へ金子を上るを、穢多程多きものはなし。
死て後の有とも無とも聢と知ぬことさへ、人間並の仏にすると云をかく辱存るからは、只今直に人間に致て遣はすと申さは、此上なく難有かり、火にも水にも命を捨て働くべし。
左すれば、何事そあるときは、五百や千の必死の人数は忽 得らるゝ事にて、夫を以 よく指揮を致して、急度一方を守衛すべき心得なり。
当時出水にて此堤か危く、是を切ては数万人の人命にもかゝる故、是非防がねばならぬといふ時は、毎も穢多を遣ひて防く也。
又市中の火災にても、爰は是非防がねばならぬといふ時は、又穢多を遣ひて防く也。
其時は、穢多共、必死になりて防く故、是非死人怪我人三人五人なき事はなし。
ケ様之時に、命を捨て働くものは、今時穢多に及ふものなし。
是を以て能く指揮して、唯今本道の人間にしてやると申さは、又十倍の力を出して働くべし。
さらば、何その時は、急度御用に立べし。
去るに依て、平常其心得を随分不便を加へ、又悪事を為せは厳重に取計、既に穢多共十五七人博奕を致す処へ僕 踏込て、一人も不残召捕たる事あり。
其節は捕縄も不足にて、穢多ともの帯をときてくゝりし事あり。
随分威も恵も失ひ不申様に致候に付、穢多とも、僕の事は至極畏れて有難かり居候、
貞、其時は甚感心致し、中々大器量ある人にて、貞等か思慮の及ふ処に無之、と唯閉口して聴居たり。
扨 是は文政四年にて、平八郎廿八歳の時也。
是より十七年の後、騒動の節、貞此事を存出し候故、定而此度も穢多ともを遣ひ候事と存候処、穢多が働きたることいふ噂も無之、又、穢多なれは市中乱妨の仕方一入暴虐の所為をも可致処、能く穢多ともの加り不申事と存、跡部へ此咄を致し候処、跡部被申候には、
其子細は、昨年の冬、渡辺村の穢多の小頭といふ者を 町奉行所の用にて穢多とも出候節は、いつも小頭さし引にて人足を引具する役なり 平八郎宅へ呼び、扨 米価高直にて、定て其方共難渋仕るであろふ、依て金子を遣す間、其時村中難渋仕る者へ夫々相応に施して遣也、と申して、金子五十両、小頭へ遣、扨 其方へは此脇差を遣すとて拵付の長脇差を遣し候処、小頭 殊の外 難有かり、此御恩は何を以て報し可申哉、御恩の報し方も無之、と申せば、平八郎申は、別に報恩の望もないが、左様に存る事なら、此辺に火災のあつた節は、穢多共多く引連て役所へ行ぬ先へ此方へ参て働呉よ、と約し置ぬ。
扨 二月十八日、渡辺村穢多の中にて富みたる者の家に死人の葬送ありて、右の小頭も家に行て、何か手伝を致し、跡にて大勢打寄て酒を呑候処、此小頭頗る大酒にて大に酒に酔、翌十九日天満出火の節は未熟睡にて、側よりゆり起せ共気付かず、詮方なく、外の小頭、穢多人足を引連て町奉行所へ馳付け、遥跡にて、右の小頭、漸々酒も醒て、天満の火事と聞き、大に驚き、御厚恩を蒙りたる大塩様に兼而の御約束ありとて人足を催促すれ共、先達而 町奉行所へ馳付け、残り少くありしを漸に駆り催、三十人斗引連、馳行けるに、最早平八郎西手へ段々乱妨致して、難波橋を南へ渡り掛け候節、右の小頭馳付候処、平八郎 大に怒り、大の眼にてにらみ付、己 恩知らづめ、何故かく遅参いたしたるそ、兼而多分の金子を与へ施し置きたるは、此度の為也、其恩を忘却致す畜生め、などと散々悪口をせられて、夫に恐縮して直に其場を逃げ走り、奉行所へ馳付、右の金子と脇差とは、跡より小頭差出、右の次第を申出候に付、此度は運よく御構ひなしにて事済、穢多ともの仕合になり候か、右の酒に酔て事の間違たるとはいふも、一つは此方の運の能きなり、
此穢多を遣うことを或人に話せしが、其人申は、
是は、必竟 大塩か事も為し得ぬ所の跡から云ふ評にて、若し大塩如き事の外より起りて人々手に余りたる時、平八郎穢多を遣ひて捕鎮めたらは、其時は、何とかいふへき。権謀術数は兵家の常にて、織田殿 豊臣殿抔、尤も権謀術数而已にて、しかも譎詐の多き事なれとも、一端大業を済されたることなれは、善事に用ゆるか、悪事に用ゆるかの差別はあれと、唯其穢多を遣ふと云一事を以て、大塩か始終を論する事は如何あるへき。
されとも廿歳の台より其幾は伏せし事にや。