Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.6.8

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「咬 菜 秘 記」その41

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻8号』(旧幕府雑誌社) 1899.8 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔東町奉行の事件後の用心〕

廿日より当組与力 同心東役所へ相詰る義、貞再三御断を申述たれとも、山城守 無余儀遠藤殿迄頼の由にて、又廿一日より与力両人、同心五人つゝ昼夜差遣、其後諸蔵屋敷の警固も引せ、表向は当組の詰も断に成たれ共、窃に両組計は別段の頼にて三月二日迄罷越たる事也。最初は何故此様に平八郎を恐れて用心ある事哉と計存居たりしか、追々熟々思へば全く平八郎計の用心にも無之、外に用心の筋有之事と察したり。

扨三月二日内分の詰も断にて、夫より同心の部屋住、又は退心のものゝ内にて五人つゝ夜分計為詰呉る様に、尤遠藤殿家来分にて遣度旨申被、三組支配下にて相応被思しも出来て働きも出来る者十二、三人撰み、五人つゝ替々遣候。

其節は愈以 平八郎計の用心にてはなく、外に山城守用心の筋有之旨申所を汲取て、遣す者共へ得と申含、如何様火急の変事出来すとも卒忽なることは決て致間敷、随分控居て山城守下知を受可相働、必々他人の下知に付申間敷、卒忽に心得違無之様にと呉々申聞せ遣候、是は外より仇の来る用心には無之、内より発る仇の用心にても有へくと心付きたる故、此方にても其心持を以、火急変事の節の働方等申合、又夜分抔油断なく若酒抔被出たりとも堅断、一滴も呑申間敷と逸々申含遣候。

此度の一件に付ては山城守組中より出たる事にて、手足と頼組のものゝ邪正分兼、種々心配のありたる事は此の一条にても深く察すへき事也。


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