Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.7.20訂正
2000.6.10

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「咬 菜 秘 記」その48

坂本鉉之助

『旧幕府 3巻8号』(旧幕府雑誌社) 1899.8 より


◇禁転載◇

適宜、句読点・改行をいれています。


〔能勢騒動 篠崎小竹処分〕

此日九ッ時過、篠崎小竹長平 貞方へ参り申聞候は、

申聞、一札書(右一札下書)を差越候。最早其通にて相済候義、今更致方無之候得共、一(此)方、実は其檄文唯一度一覧而已にて 不覚申程之義、況や写等は更に所為(持)無之。乍然、多分 夫にて相済、別段尋も有之間敷候間、心得候段 長平へ答帰し申候。

跡にて考へ候処、貞が右檄文を所持候て、妄に人に借し(す)抔致す様に町奉行所にて存候半事も如何にて、若 遠藤殿へ噂抔ありて遠藤殿も左様に被存、貞え御尋抔ありてから其実情を申出るも如何なり。

夫よりは為念、先此方より遠藤殿の御含置を申述べしと思ひ、内々かやうの義を篠崎小竹より頼越し、無拠其通に承届遣し置候間、御含置き被下、若 町奉行より噂も出候はゝ可然御答置被下度と申出置候処、遠藤殿、潔白に其子細を直様跡部へ語られ候と見えて、又町奉行より篠崎小竹を呼出して、儒業をも仕居候身分にて、仮初にも上より御尋の筋に取拵候話を申上候とて、御叱五十日計御預に也たり。

是等は貞が余り潔白を存じて所謂馬鹿念と云にて、篠崎へ一端許諾したる事を斯なる可とは思はず、少し念を入可としたるより、再び存外の迷惑をかけて、跡にて甚気毒に存る事なりし。


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