Я[大塩の乱 資料館]Я
2000.1.23
2000.1.28訂正
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「咬 菜 秘 記」その7
坂本鉉之助
『旧幕府 2巻第10号』(冨山房雑誌部) 1898.10 より
◇禁転載◇
適宜、句読点・改行をいれています。
〔坂本の身仕度と出動〕
升形小頭へ、同心三十人御渡、筒を持、玉薬は銘々用意して 土橋先へ早々揃ひ可申、尤 今日当番の一組は相除き、非番組より十五人、明番組より十五人づつ可罷出、則 此方召連候間、支度次第 土橋先へ揃候様に
と申渡、夫より貞は帰宅いたし、鉄炮其他玉薬迄 夫々一人にて支度を調える事故、走帰る節は何か胸の中か多忙にて、我門前へ帰るまで、外に平与力両人同道と申事を殆 忘却して、是は貞一人か承りたる事故、此方か通達せねは誰からも通達致す者は無之と心付て、最初は 不容易事故、場所にても 相応に相談の相手になる人物を撰て同道すへし と思ひ、誰々と心図りも致し居、此節は殆と忘却てし、我門前にて風度思出して、直に隣家の蒲生熊次郎方へ行て、右の趣を達して、今一人は本多為助を同道すべしと思ひ、門前を通り掛たる多湖権之助へ頼みて、今本多為助は仲間一統へ総出を触歩行て居る故、其所へ走り行て、如此 通達して給り候様に申逹。
夫より帰宅して鉄炮其他取集、早合へ玉薬を詰る事は、裏稽古場に未 部屋住もの抔残り居たるものに頼みて、夫々取調、扨 家来とも迄も腰兵粮を持たせねは、如何様に空腹にならんも難計、火急の事にて握り飯にも及はす、風呂敷を水に濡して それへ飯を包みて腰に付させ、可然など家内へ申付、貞 火事装束の侭なから下に股引きを致し度と思へと、夫にては帯まて解かねは支度が調はぬ故、せめて野袴の下へ脚胖丈け成とも当んと思、右の脚胖を当てみれは、小袖二ツも著て、野袴の下へ木綿の脚胖は、何分足に纏ひて 歩行の邪魔になる故、折角当てたる脚胖を又とりて、元の通の火事装束計になり、唯 用意の草鞋をはきて出掛たるとき、家内の申は、
とてさし出したるは、径り一寸余りの備前壺へ梅肉を入たるなり。
夫を手にとりて 袂へ入れたる計りにて出し。
此以前に同心三十人 土橋先へ揃ひたる旨申来り、貞か内心には同心三十人の支度は定て調ひ兼て、急の埒には明まいと、実は少々落着心にて居しか、はや揃ひたりと案内にて驚入りて駈け出たせしことなり。夫より門前へ出ると、隣家の熊次郎も支度をして出たる処にて、同道して土橋先へ行と、土橋固の相番か云には、
東町奉行所より人数催促の使か先刻より両度参りたり。又 公用人畑佐秋之助は、貴様か御出ならは御先へ参り候と申呉れよと伝言して行きたり
と云故、扨は 貞が不支度にて一番後れたりと思ひし。
跡にて聞けは、秋之助は京橋組与力同心一通りにては中々埒明くまじ と思ひて、先 京橋組の支配役の宅へ行て催促して同道すべき為 先へ行きたるよし。去るによつて、町奉行所には末たまいらず。貞より跡にて町奉行所へ参りたり。
夫より御堀端を西へ押行く処にて、本多為助も支度整ひ出掛たれば、皆相揃 町奉行所へ参る途中にて、為助申には、
此方中間老実なるものにて持病に喘息之有。今朝より共に召連、諸方駈廻る途中にて喘息相発、難渋の体に見へ候に付、供に付すとも宜候間、休めと申ても実躰ものにて聞入不申。先刻とうとう宅にて相果たり。出陣前ケ様の悪瑞にては、今日はろくなことはない
と申す。
貞か申は、
夫は甚 忠義者にて、戦場にて討死をしたるも同様 功なれは、至極よかろふ
と答へて東役所へ参候。
是等の所を以 考みれば、戦場の支度も、余り十から十迄整て、調度の揃ひたるは、
反て邪魔にのみなることもありて、随分手軽き方には如はあるまし。
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