Я[大塩の乱 資料館]Я
2016.12.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『日本史蹟文庫 徳川幕政』(抄)
その2

妹尾薇谷

岡田文祥堂・山本文友堂 1913 所収

◇禁転載◇

二二 典仁親王に太上天皇の尊号を奉らんとし松平定信之を反対す=家斉将軍の在職は徳川
 十五代の将軍中最も久し=文政以後幕綱弛頽急転直下=大塩の乱=家慶将軍多く新令を発
 す=慶喜卿大政を奉還(2)
管理人註
  

     たま/\  ところが偶々飢饉に会したのである。学問をして物の道理を知つて居る                   ○ ○ ○ だけ、それだけ餓民の惨状を見てそのあはれを感ずることが強かつた、遂 に窃に其の心に相談し決心して、我が蔵米を売りて金銭にかえて之を貧民 に与へて救ひた、而して尚ほ後素は大阪城代土井大炊頭利位及び同町奉行 跡部山城守良弼に対し、究民救助の哀願に及んだ、然るに町奉行は之を顧         つら みず、城代亦蛙の面に水!、実に知らぬ顔であつた、而も後素は熱心に百   ○ ○ 方しなをかえ、手を替えながら懇請をつゞけて居つた、而して後素は達す    あた ること能はす、のみならず官は意地悪く出でゝ却つて税金の督促を猛烈に した、爰に至つては平八郎後素の癇癪玉は忽ち破裂した。  後素は同志を糾合し、非常手段に訴へ悪官暴吏を一掃し、以て本意を貫 かんと欲するに至つた、乃ち『虐吏天誅の檄文』を作つて之を飛ばし同志                               いはゆ の糾合に取りかゝつたが、その身既に饑餓に迫まり居れる究民!、所謂る 究して乱するもの!、彼れ等は思つたである。                        ど の みち  『飢えて死ぬるか?、刑に触れて死ぬるか?、甲乙途死なねばならぬ身 ぢやもの!』 とて、忽ち後素の檄に応じて起るもの雲蒸霧集の概があつた。





幸田成友
『大塩平八郎』
その97


『日本史蹟文庫 徳川幕政』(抄)その1/その3

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