Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.13

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その10

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第二章 近世の三大飢饉
 第四 飢饉と人口
  一 享保以後の人口数 (経済史研究、一〇九頁以下)  

管理人註
  

年 号西暦 計指数引用書
享保6頃1721頃  26,065,42598.17
同 111726  26,548,998100.00吹、小
同 17173214,407.10712,514,70926,921,816101.02吹、小
延享元1744  26,153,45098.51官、小
寛延3175013,818.65412,099,17625,917,83097.24官、吹、小
宝暦6175613,833,31112,228,91926,061,83098.16官、小
同 12176213,785,40012,136,05825,921,45897.25
明和51768  26,252,05798.88
安永31774  25,990,45197.21
同 91780  26,010,60097.57
天明61786  25,086,46694.49
寛政41792  24,891,44193.71吹、小
同 101798  25,471,03395.93吹、小
文化元1804  25,517,72996.11
同 13181613,427,24912,194,70825,621,95796.50
文政11182814,160,73613,040,06427,201,400102.45
天保51834  27,063,907101.93
弘化3184613,053,58213,053,58226,907,625101.35
  引用書中は吹塵録第五冊、は小宮山綏介氏近代の人口竝  人口と天時との関係、は官中秘策第一巻を略称せるものとす。  備考   一、吹塵録二頁及び七頁には五歳以上人別なりといへり。   二、横山氏、本朝古来戸口考、学芸志林第五巻一七一頁には二五、六    八二、二二〇人とあり。   三、横山氏、前掲、一七二頁にはこの外に蝦夷松前の人口二一、八〇    七人ありとす、鈴木券太郎氏、寛延三年御国人口表(東京経済雑誌    一二五号一〇九〇頁以下)には男女総計二五、九三五、七一一人と    し、蝦夷松前男女計二一、八〇七人を含むといへり。   四、吹塵録八頁以下、及横山氏前掲一七四頁は共に文化元年の人口数    として之を掲ぐ(松前函館蝦夷の人口数を含む)。今は小宮山氏前    掲八二一頁に拠る。   五、男女別は井上氏、大日本国古来人口考、統計学雑誌第十九巻、二    一三号三〇頁による、尚同氏は、嘉永五年人口数とし本年と同一の    数を掲げたりと禹(三〇頁)採らず。   六、松前蝦夷人口を含む(吹塵録三〇頁)。  既に述べたるが如く、以上の数字には公卿・武士及武家に従属する者を 含まず、無籍者・穢多・非人の数を加へず。且蝦夷・琉球の人口を加へざ るものあり。十五歳以下の者については、各藩の例規により不同あるのみ ならず、調査の不完全なるより脱漏重複せることも少なからざるべく、全 国平民の数についても、決してその全数を尽せるものに非る也。故に実際 の人口数は、以上の数字よりも、一層大なるものありしことは、之を推察 するに難からず。云々。



表の数字は
漢数字を
算用数字に
変えています






































小宮山綏介
論文は
『国史論纂』
国学院 1903
所収







横山氏
横山由清




















井上氏
井上瑞枝
 


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