只是のみならず、天明荒饑の夏は糠小鯛といふもの多くとれて、その価
鰯のごとく廉なりき、又天保癸巳の冬は、さんまといふ魚のとれたること
近来稀也といふ。この魚は渡り物にて、八九月安房・上総の海を過るを網
して捕るといへり、海凡二三十里も沖に船を出さゞれば獲がたし、去冬は
この物のわたり来ぬる事、水も見えわかぬまでに夥しかりけりが、その獵
船の内二十艘ばかり、いかにしけんかへり来ざるものありと風聞しけり、
さればにや、旧冬十一月比、さんまのさかりに出るまゝに、一尾の価三四
文なりといふめれど、買ふもの稀也と聞えたり、此塩魚は賤しきものゝ良
食にて、近年その価八九文より廉なるはなかりしにくらぶれば寔に廉也、
糠小鯛といひ、さんまといひ、荒饑の夏冬に多く捕れたるを思へば、必こ
れも気運に従ふものにやあらん、録して後生の考据となすのみ、
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