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ロ 品川某奥羽遊歴記 (凶歳必携、四二、四三頁)
天保四年癸巳奥羽辺飢饉、津軽領は稲の穂真すぐに立ち、実は一粒もな
し、道中旅籠屋にて米なしとて宿を許さず、強て頼めば蕨の粉・昆布・神
馬草の根等を稗杯等に加へ、粥雑水にして食はす、又鰹節五六本も所持し、
朝夕の粮食とし、往来をなして日数五日許りは米は一粒も見ず、依て之を
問へば、今歳まで三箇年打続き凶作故に米は一粒もなしと云ふ、此辺村々
の猫犬を殺し食ふ事、之は食物なき故に猫犬が人に喰付故に打殺し、又之
を食するなりと云ふ、又よろよろして居る餓人幾千万人とも知らず半死半
生の者道傍に倒れ居るもの夥しく、戸板に乗せ村送りにするもあり、領主
も三箇年の違作にて手当も不行届なりと聞く、又南部にて四才位の子と当
歳の子と夫婦蓮れ非人となり、食物なき故、女は二人の子を抱き河に沈み、
夫も続て水水せしを見たり、伊達郡に出でたれば三分の作と見え始めて餓
死を遁れたる心持せり云々
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神馬草
(じんばそう)
ホンダワラ、
銀葉草・ぎばさ・
ぎばそなどとも呼
ばれる
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