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 天保八年丁酉三月、令して賑救廠収養の窮民を処置せしむ
  代官領主に令知して曰く、品川其他三所の賑済厳に在る窮民にして、
 方今郷村の戸籍を脱する者に係るも、公領地若くは一万石以下の領地よ
 り来りし者は、勉めて之を其郷土に帰せしめ、其他は各其人材の如何に
 随つて、荒蕪地若くしは人足寄場に従役せしむ、夫れ此の如く政府に於
 て百方仁恵の処分あり、故に厚く其恩旨を領体し、曾て処罰を受るに非
 らずして惟村籍を脱し賑救廠に入りし者は、其管理の代官より旧領主に
 解付せば決して追放等をなさず其纔かに逃亡せる者は、勉めて之を宥恕
 して帰住せしむべし(天保集成巻三十)
 天保八年丁酉三月、武家に下令して飢民を発認せば、之を賑救廠に護送
せしむ
  府内の武家に令知して曰はく、客歳以降米価頗る騰貴し、府内市街の
 雇傭者窮困せるに由り町会所に於て銭穀を給賜し、或は賑救廠を建設し
 て厚く之を救恤せりと禹も、頃者又道路に彷徨し、若くは困倒する者有
 り、今回代官中村某(八太夫)・山田某(茂佐衛門)・伊奈某(半左衛
 門)・山本某(大膳)に其管理を命じ、更に賑救廠を品川・板橋・千住・
 内藤・新宿の五所に建設して、尚ほ救恤を加ふるに由り、道路に彷徨し
 若くは堰臥する者を発認せば、則ち其他の哨所互結の首長より家卒をし
 て携行せしめ、又互結に与みせざる者は各自の家卒をして之を賑救廠に
 護送すべし(天保集成巻三十)
 天保八年丁酉三月、倉廩を発て大に府内の窮民を賑救す
  町奉行に令知して、曰く客歳諸国凶歉にして米穀乏しきを告げ、府内
 賤民の甚だ窮困せるを以て深く賑恤を加ふるも、益々窮困に至る者あり、
 因て浅草米廩を発き米二万苞を賑賜するに由り、宜く速かに町年寄に下
 付して賤民に分与せしむべし(天保集成巻三十) 
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纔(わず)か
宥恕
(ゆうじょ)
寛大な心で
許すこと
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