Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.28

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その24

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第二 近世三大飢饉の対策
  (三)天保の対策
    五 八年幕府賑済(徳川理財会要巻十三、日本経済大典第五十三巻三八四頁以下)(1)

管理人註
  

 天保八年丁酉三月、令して賑救廠収養の窮民を処置せしむ   代官領主に令知して曰く、品川其他三所の賑済厳に在る窮民にして、  方今郷村の戸籍を脱する者に係るも、公領地若くは一万石以下の領地よ  り来りし者は、勉めて之を其郷土に帰せしめ、其他は各其人材の如何に  随つて、荒蕪地若くしは人足寄場に従役せしむ、夫れ此の如く政府に於  て百方仁恵の処分あり、故に厚く其恩旨を領体し、曾て処罰を受るに非  らずして惟村籍を脱し賑救廠に入りし者は、其管理の代官より旧領主に  解付せば決して追放等をなさず其纔かに逃亡せる者は、勉めて之を宥恕  して帰住せしむべし(天保集成巻三十)  天保八年丁酉三月、武家に下令して飢民を発認せば、之を賑救廠に護送 せしむ   府内の武家に令知して曰はく、客歳以降米価頗る騰貴し、府内市街の  雇傭者窮困せるに由り町会所に於て銭穀を給賜し、或は賑救廠を建設し  て厚く之を救恤せりと禹も、頃者又道路に彷徨し、若くは困倒する者有  り、今回代官中村某(八太夫)・山田某(茂佐衛門)・伊奈某(半左衛  門)・山本某(大膳)に其管理を命じ、更に賑救廠を品川・板橋・千住・  内藤・新宿の五所に建設して、尚ほ救恤を加ふるに由り、道路に彷徨し  若くは堰臥する者を発認せば、則ち其他の哨所互結の首長より家卒をし  て携行せしめ、又互結に与みせざる者は各自の家卒をして之を賑救廠に  護送すべし(天保集成巻三十)  天保八年丁酉三月、倉廩を発て大に府内の窮民を賑救す   町奉行に令知して、曰く客歳諸国凶歉にして米穀乏しきを告げ、府内  賤民の甚だ窮困せるを以て深く賑恤を加ふるも、益々窮困に至る者あり、  因て浅草米廩を発き米二万苞を賑賜するに由り、宜く速かに町年寄に下  付して賤民に分与せしむべし(天保集成巻三十)

















纔(わず)か

宥恕
(ゆうじょ)
寛大な心で
許すこと


『飢饉資料』(抄)目次/その23/その25

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