大飢饉の時は、他領よりも流民食に就て多く立入ることあり、凶年とい
ひ人あし多く立入ば、疫邪流行することあり、街道筋の塵介積りて穢らは
しければ、別して瘟気を拓くゆへ、先掃除を申付、くまく迄清潔にして、
その萌を防ぐべし、又は寺社などの広所を見立て、小屋掛して差置き、い
かにも込み合はぬ様にすべし、又頭分を立て、法を立て正すべし、臥し所
竝に出入の時を定め、毎日食物を受取時も、右往左往乱妨せざる様に申付、
若命に違ふものあらばしばらく食物を渡さず、再び違ふことあらば、即時
に境外へ逐出すべし、流民の健なるものは、夫々の仕事を成さしめ、又は
民間の日雇にも出させ、座食することを許すべかへず
餓孚ものを取片病人を介抱する事(同巻二九四頁)
凶年には疫癘流行する者也、餓餒もの路次にみつれば、病気を生ずる故、
その時々取片さすべし、是生物の為のみならず、仁者の死者を憫むことか
くあるべきことなり、また病みて死に至らぬものは、医薬を与へて救ひ遣
はすは、申込もなく、病人小屋を立て、専らその介抱を申付たきもの也、
云々
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