Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その4

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第二章 近世の三大飢饉
 第三 天保の飢饉
  二 東北地方(3)

管理人註
  

ハ 救荒便覧後集  天保四癸巳年に塾生忠純の語りしは、奥州へ細工に行し松五郎と云ふ者 の話に奥羽辺にて九万三千人許を逐ひ払ひしを見たり、又石の巻と云所に て盲目三人川端にて終日酒を飲み、其夕皆水に投じて死せり、又婦人子を 川に投げ、ふりかへりて悲歓せしが、立戻り水に投じて死せり、又松の木 へ子を結ひ付、殺せるものあり、江戸にても置去り多し、此頃勢州より来 りし者の話に、道中騒しく夜行はならず、路傍に埋めし新塚凡五百計もあ りしと、又未だ埋めざるもありて大群り食ひ、烏集りて食ふもあり、自分 行き労れて大なる百姓の家に入り休息せしに、老人と娘と二人居しが食物 の貯へ既に尽き、二人とも一向に食せず、女房は十日許り以前既に餓死躾 は四五日前に餓え労れて死せり親なりと云、我等には少しづゝの食を与へ られし故今迄は生きのびぬ、永く苦しむより一日も早く死行んこと、今日 の望なり、娘はまだ年若身なれば明日にもせよ、万々一御上より御恵みの ことにてもあらば命助るべし、老人は早や思ひ残すことなし、女房躾のは やく死行きしこそ羨し、是迄斯る哀なることは見もせず、又聞きもせざり と云々、

   


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