Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.3

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その30

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第三 開廠賑粥の注意
   四 飢民を救法 (救餓大意、日本経済大典第十一巻三頁) (1)

管理人註
  

 三十余年前、京師大に飢て、死人ちまたに満り、仍之北野竝東河原にお びたゞしく小屋をかけ、粥を煮て養ひたまへり、仁心仁聞ありといへり、 然れども目の前の了簡にて、深く考ー給ふに暇なかりしにや、却て費るの みならず、死人益多くして一人のすくひにはならざりしなり、其仔細を段々 下にのべ侍べし、小屋を大にかくるには先二三日四五日には出来ず、其間 餓死のものまたず、小屋の物入を米にて救はゞ、大勢助るべし、小屋場京 の内にてならざれば、必北野辺・東河原辺なり、飢民それまで足をはこぶ、 其中行斃るゝもの不知数、たとひ僅に粥を得ても、飢民遠路の往来には腹 うゑて不得も同前なり、是恵で費たるなり、京中一二ケ所の小屋にて、京 中の者を聚る故、夥しく推合ゆへ、無力の飢民はたゆること能はずして、 死に至るものあり、大勢のことなれば、役人も多からねば、ならして役人 に与次郎(乞食の惣名)と云ふものをすれば、此飢民には如何様の者可有 も難計、殊に乞食に支配さすは無礼の至なり、其中にもあまも飢ぬ力ある ものは、老少竝に力なくよろばふものゝ食を奪ひとる騒動あり、夫を制す るとて棒を以てうち倒す、依之痛もの夥多、却て不仁の事となる、是及ざ る事にり、大勢の食なれば、時刻をきわめざれば、ならずして、大方四ツ 時に小屋の内へ入るゝ、未明より来て寒気病気にあたりたるもの、四ツ時 まで待て飢死る者有、大勢にて吟味ならざれば、有力ものは二度も受早く 請るに、無力の飢人は押合よろばひて、遅く請て一度も全くは不食、たと ひ今日受ても明日うゑ、又宿まで帰る事不能にして、野に臥て寒気にあた る者不知数、野陣にて小屋をかくれば、雨風雪霜の時は不能、なせともい たみ死す  惣じて食を賜とあれば、午前にて少しづゝもうくるものも、夫をやめて もらふゆへに、無用の所へ費ゆる錫、釜、桶等大分の物入多し、右の外吟 味すれば、大分の費どもあり、然ば此施行の害は多けれども利益は見えず

   


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