北野辺、清蔵口、寺町、西院、丹波口、東寺、伏見海辺、粟田口等の辺
を見立、貧人多き少きを見立、貧人多きを見立、其辺の寺或は三ケ寺、或
は五ケ寺、町中にては或は一ケ寺二ケ所へ参じて、其寺にて粥を煮てくは
すべし、寺僧も死をすくひ、人をいかす事は元来の役目なれば、とくと合
点させて、その寺の釜桶を用て煮とゝのふべし、役人も外より不用して其
寺の僧下人にすべし、是にも又法あるべし、法は一ケ寺に人数百人と心得
べし、粥の米は精二斗なるべし、夫を一日両度用ゆべし、先づ朝一斗調ふ、
先寺の門をさして、門の外に与次郎二三人程番に付置て、未明より粥を煮
て少しさまし、桶いくつにもいれて、米にて一合程の積り入るゝ柄杓を多
く拵て、夫に一盃づゝくみて、一人づゝ門を入れさまに施すべし、夫を受
たる者すぐに内に入て、寺の内にて食べし、かくのごとく百人までとらす
ることは、半時もかゝらぬなり、夫をくみてあてがふものも、其食をうく
る者の内をえらびて、二三人づゝかはり/゛\にさせて、其者には、おは
りに又一ひしやくづゝあたふべし、至極うゑたる者には多くあとふれば死
するなり、用捨あるべし、あまり飢ぬ者に粥をくますべし、寺の僧にても
下人にても一人かゝり居れば、一斗の粥を煮るにはあまる事なり、百人に
満て粥尽る時は、門をしめてもはやいれず、扨粥を施すにも、門外の与次
郎は不安申、寺のうちの者にても、とせよかくせよと慮外なる言葉を出す
べからず、乞食の分は門とめにて、出ぬからは皆町々者共なり、然者御公
儀様より粥を被下候間、難有存ばいたられよなどして能あいしらふべし、
先施すべき日限を定めて、京中洛外迄ふれをなして、何の方角は何方の寺、
何方はいづかたて定ていたゞきに来る、一日二合粥を下され候間、其心に
て参候へと申すべし、しかれば一ケ寺百人のつもりにても、五ケ寺にて五
百人なり、京中辺土八所にて四千人なり、夫ほどはあるべし、如何なれば
乞食穢多島原をとゞむる故、数少なきはづなり、其上町中にてはその辺の
寺ありて、又五十百づゝほどこす故、さまでつきあはぬはづなり、然ば辺
土にても五百人より上はあるまじ、扨門の内へ入て晩方迄門をさして不用
不入なれば、外にかせぎて三合ももうくるものは不来、又至極の飢人は道
をありかぬゆへ、はらすかず、若風雨雪霜の凌がたき時は門の下、鐘楼の
下、或は堂の内などに居てしのぐべし、是雨ふりにも行はるゝなり、或草
履を作り、その外所作をなさんと欲するものは、わらを持来て寺の中にて
なす事をゆるすなり、
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