Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.5

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その32

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第三 開廠賑粥の注意
   四 飢民を救法(3)

管理人註
  

 北野辺、清蔵口、寺町、西院、丹波口、東寺、伏見海辺、粟田口等の辺 を見立、貧人多き少きを見立、貧人多きを見立、其辺の寺或は三ケ寺、或 は五ケ寺、町中にては或は一ケ寺二ケ所へ参じて、其寺にて粥を煮てくは すべし、寺僧も死をすくひ、人をいかす事は元来の役目なれば、とくと合 点させて、その寺の釜桶を用て煮とゝのふべし、役人も外より不用して其 寺の僧下人にすべし、是にも又法あるべし、法は一ケ寺に人数百人と心得 べし、粥の米は精二斗なるべし、夫を一日両度用ゆべし、先づ朝一斗調ふ、 先寺の門をさして、門の外に与次郎二三人程番に付置て、未明より粥を煮 て少しさまし、桶いくつにもいれて、米にて一合程の積り入るゝ柄杓を多 く拵て、夫に一盃づゝくみて、一人づゝ門を入れさまに施すべし、夫を受 たる者すぐに内に入て、寺の内にて食べし、かくのごとく百人までとらす ることは、半時もかゝらぬなり、夫をくみてあてがふものも、其食をうく る者の内をえらびて、二三人づゝかはり/゛\にさせて、其者には、おは りに又一ひしやくづゝあたふべし、至極うゑたる者には多くあとふれば死 するなり、用捨あるべし、あまり飢ぬ者に粥をくますべし、寺の僧にても 下人にても一人かゝり居れば、一斗の粥を煮るにはあまる事なり、百人に 満て粥尽る時は、門をしめてもはやいれず、扨粥を施すにも、門外の与次 郎は不安申、寺のうちの者にても、とせよかくせよと慮外なる言葉を出す べからず、乞食の分は門とめにて、出ぬからは皆町々者共なり、然者御公 儀様より粥を被下候間、難有存ばいたられよなどして能あいしらふべし、 先施すべき日限を定めて、京中洛外迄ふれをなして、何の方角は何方の寺、 何方はいづかたて定ていたゞきに来る、一日二合粥を下され候間、其心に て参候へと申すべし、しかれば一ケ寺百人のつもりにても、五ケ寺にて五 百人なり、京中辺土八所にて四千人なり、夫ほどはあるべし、如何なれば 乞食穢多島原をとゞむる故、数少なきはづなり、其上町中にてはその辺の 寺ありて、又五十百づゝほどこす故、さまでつきあはぬはづなり、然ば辺 土にても五百人より上はあるまじ、扨門の内へ入て晩方迄門をさして不用 不入なれば、外にかせぎて三合ももうくるものは不来、又至極の飢人は道 をありかぬゆへ、はらすかず、若風雨雪霜の凌がたき時は門の下、鐘楼の 下、或は堂の内などに居てしのぐべし、是雨ふりにも行はるゝなり、或草 履を作り、その外所作をなさんと欲するものは、わらを持来て寺の中にて なす事をゆるすなり、


















与次郎
乞食




拵(こしらえ)て


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