Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.6

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その33

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第三 開廠賑粥の注意
   四 飢民を救法(4)

管理人註
  

扨又晩方に及で、又朝のごとくして、又一合の粥をくみて、一人づゝあた へて門を出すべし、然ば一日二合づゝのの粥を時節よくくらへば、飢死は 無となり、若亦宿もなくて野にふせるものは、すぐに此寺の内門の下堂の 内に居さすべし、扨病死か又は飢民の命尽て死するものは、かの門番する 乞食に命じて其寺の墓所にうづむべし、尤僧の役目なり、然ば京中にて五 千人とつもればあまるほど有べし、然ば一日に白米十石づゝなり、三十日 養て三百石なり、凡餓死するほどの事は廿日許りにてはやむものなり、然 ば是ほどもいらぬなるべし、扨餓死は一人もなきはづならずや、扨釜小屋 などの物入をはぶきてみれば、先年の三ツ一もいらぬはづなり、若亦それ をも施べきとならば、其物入を積り、その半分なりとも、かの寺々の僧の 骨折にとらせてよし、乞食小屋などへとらせても、よかるべし、其上は如 何様ともなる事なり、此を潤色する事は其人にあるべし、是大略を記也  扨又町中にても、少金銀ありてかやうの時には、寒夜などに粥を煮ても たせ出して施もの有、されども飢人おびたゞしく取付て難儀する事なれば、 仁心あるものもえせぬいきほひに来てやむることなり、是も又上よりふれ をなして、毎々飢の時はケ様の事有よし、兼々土へも聞へたれば、又此度 も左様の志ある者も有んか、必左様にほどこせよと被仰出候にてなれども、 若存寄たる者有とも、方々へ持出すことはすべからず、その一町の飢民に ふるまふべし、然ば己が宅のおもて庭にてえさすべし、富町町の一町にも さまよふの物なき方にては、其横町々々一町にても二町にても、力の及ほ どあとふべし、若それもいかゞと思ふ者有て、是非施度思ふものは、面々 の寺を頼みて成とも、又は公儀より被仰付候寺の内へ又頼で、昼の食にえ させ成ともいたすべし、左様の輩は寺々に、記置本寺へとゞけ、誰々ケ様 の施を仕たるを可申上本寺より又書付て公儀可申上なり、寺にてすべきと 思はゞ、寺の難儀とならぬ様に人を遣はすか、さなくば寺へ其料をあたふ べし、如右寺を用る事当世の活法なり、諺に云る禍も三年をけば用にたつ とは此類か、扨亦私に人の餓死をうれへて、食にても施し度と思ふには、 ひろくすくはんも力及ぶべきにあらずして、郷党は又相すくふの義も有之、 その餓をみるにしのびざる事有、ほどこさんとすれば、前に云へるごとく、 餓人たかりて取付、ほどこす事あたはず、のみならず却て害出来ぬべし、 されば我が勢の及ぶほどをすくひ、費なき恵みやうあり、これはわたくし ごとなればしるさず、志ありてなさんと思ふ人よく/\考へば行べし

   
 


『飢饉資料』(抄)目次/その32/その34

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