Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その34

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第三 開廠賑粥の注意
   五 開廠賑粥法 (備荒録一〇四頁以下)(1)

管理人註
  

 荒歉の歳、小屋を立て、粥を施行する仕法を云ふ、是は張司之農民が救 荒十二議を本とし、唐宋元明の間、諸賢の名法效験ありとものを増訂載録 す 一、親審貧民 粥を賑はずには、先づ人数改むるを要し、之に依て万事の  手配りをなす事なり、故に先づ村長は村内飢人の名面を郡長に書出し、  郡長之に就き村里に出張其家毎に臨検飢餓の状を見分し、弥々相違なき  に於ては、小札に姓名を記し、一人毎に之を渡し、此札を持て某の小屋  に行、粥を受べき旨を示し、名面は控帳に留置べし、又郡長廻村の時は、  腰弁当にて諸事村里の世話にならざる様にすべし 二、多設粥廠 飢人多く集れば、混雑して争論も出来、粥の手配りも宜し  からず、其上小屋一ケ所にては、遠方の者往来に便利ならず、仍て場所  を見立、最寄に数箇所立置べし、一箇所六七十人より百人を限りとすべ  し、又最寄の寺院を借りて施行場とするも宜し、小屋を作る費を省くな  り   黄慎斎証曰、粥煮場は先広き地面へ柵を構へ、前後へ門を作り、内へ  土の竈五を築き、大釜五つ、第一の釜へ、湯の煮へたる時に中へ麦の粉  と米の粉を入れ攪せ、饑民を前の門より入れ、一ト杓つゝ与へ、後の門  より出すへし、第一の釜、第二の釜と食ひ尽せば、第四番目の釜へ粥へ  粥出来る也、五番の釜を食ひ尽す比、又第一の釜に出来る也、此通りし  て上十人二十人にて間合ふべし、粉一合にて三四杓になりて三四人を  済ふ、三四斗もあれば千人も済ふべし、朝五時より始め、昼九時比迄に  終るべし、穀少くして人を助くる事多し 三、審定粥長 数百飢民の命、粥長の手に掛る事なれば、粥長の人物見立  大切なり、粥長の人物宜しからざれば、種々の奸曲生まるものなり、村  民の内篤実にして善事を好む者三四人を撰び、頭取添役となして取計は  すべし 四、預備薪炭器具 粥を煮用薪炭、鍋、杓子桶、椀、箸等の器具事欠なき  やう心を用ふべし、杓子はよく改めて渡すべし、大小に依て粥の盛に軽  重あればなり 五、厳立廠規 飢民を取扱は三軍を扱に同し、申渡す事は厳重にして明白  なるを要とす、規條は一様にして区々ならぬを要とす、名面帳は到着の  順に記すへし、座席の割はを立、縄を張り、一行々々の界限をなすべ  し、施行の時刻朝は八時、夕は五時と定め、鐘太鼓或は拍子木を以相図  とす、飢民寄り来らば、帳面の順に名を唱ひ第一行に坐しめ、第一行坐  し終らば、第二行に坐さしむ、第三第四幾行にても斯の如し、第一行と  第二行と第三行とは背を合す、第三行と第四行と又面を対す、幾行にて  も皆此次第にして、面対の間は粥桶を持て往来するの道を明べし、扨粥  を施には、仮令は半日には左側より初、丁日には右側より初め、或は下  より初め、日毎に順を換へ、人後に成の歎なき様に施すべし、一椀通り  食畢らば拍子木を打、勝手次第手水に立しむ、暫して座定りたらば、第  二椀を施すべし、二椀食ひ終りたる時、又相図をなし、皆々帰らしむ、  帰る時は末に坐したる者より順を追て立しむへし、若我儘に座を立て、  釜場に掛り、手盛などする者あらば、即時に小屋を払ひ出し、帳面の名  を除くべし    但老人足弱の者には便宜送り与ふへし、列に加わりかたきのみなら   ず、列行の憂ひあり













名面
(なめん)
名前





























攪(ま)せ












































(くい)


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