Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.16

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その40

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第四 飢饉と貯穀
   (一)三倉論
     二 補、常平義倉社倉貯穀之事 (4)

管理人註
  

 金玉は貴しといへども、荒年の備とすべからず、兎角穀類ならざれば、 まさかの時人の命をつなぐべからず、されど計吏抔は穀にて積み置を、む だ事の様に思ひ、金にしていつまでも利倍するを、良計とすれば、俄に荒 年に出逢ひて、人民を救ふことを得ず、其上積金にてあれば、いつしか、 国用不足の時、遣ひこみて、つひにむなしくなる也、されば義倉・社倉な どある国もあれど、有名無実となりて、せんなき事となれり。又せんなき のみならず、無きにおとることもあり。いかんとなれば、社倉・義倉はい づれ、下の財を積むものなるに、上の用に遣へば、今迄取立て積しは、全 く運上の外の運上となり、年貢の外の年貢となり、名は民の飢餓を救ふと いひて、実は民の膏血をしぼりとる也、凡国用は人を量て出るをなすべき に、かやうの外物にて国用を足せば、はては外物なくては事弁ぜぬ様にな り、つひには出るを量て入るを制する様になり、種々工夫して、民よりと りて間に合さんとすべし、且其国用といふも、実の国用にあらず、鹵簿の 儀物を美くして、市童の誉を求るか、閨門の奢侈を増して、婦女の目を悦 すか、皆人欲の私を盛にして、いらざる事に費す事なり、国の本たる民を 削りて、枝葉にもならぬ、歌童舞妓、珍畜、奇獣抔の物を肥すに至る、是 根本の病なり、いたくこらし正すべし、此本を正さずして末を論じ、専ら 国用を足すといふ、計吏は、いはゆる仕送り方の心得にて、後日人民の飢 餓に及ぶをも思はずして、備荒の物を引出し、間に合せんとすべし、さす れば義倉・社倉は、民を救ふ良法なれど、かゝる計吏出て、是を用ひば、 民を傷ふ大害となるべし、是ぞ苟卿がいへる、有治人而無治法といふこと にて、其人なくば其法行はれず、されば専一に人をえらみ、其職に任ずべ し、しかし害のあらん事を恐れて為さゞれば、いつの時にか民を救ふ仁政 を行ふべき、最初に法に立てるものあらかじめ後日の弊を見抜き、既に糴 本出来る上は、正米にて貯へ、一切金にて取扱ず、尚米にても危しと思は ゞ、彼稗・・海草・野菜などをも、通半まじなへば、上に媚て下に憫れ まぬ役人出来るとも、払ひても、せんなきことゆへ、手をつくまじき也、 たとひ海草・野菜にても、まさかの救を救ふ事は、巨万の金玉にまさるこ と、いはでもしるべし、其上よく/\掟を立置なば、倉を空しくすること しあらじ、くれ/゛\も社倉・義倉は下の為にするものにて、上の為にす るものにあらず、しかしながら、下の為に利益なることは、終には上の為 に利益となるべし、有子の百姓足らば君たれと共にか足らざらんといひし は、万世不易の道理ぞかし。
































鹵簿
(ろぼ)
儀仗を備えた行幸・
行啓の行列













苟卿
苟子のこと

有治人而無治法
治人ありて治法
なし
善く治める人は
いても、その法
があれば勝手に
良く治まるなど
という法はない
(荀子  君道編)





(うるち)
 


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