Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.18

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その43

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第四 飢饉と貯穀
   (一)三倉論
     四 社会法大意 (救餓大意、日本経済大典第十一巻十四頁以下)(1)

管理人註
  

 夫社倉とは、一社/\の地に倉をたてゝ米を貯置を以てこれに名づく、 其法米六百石を上より請ひ受け、夏の頃、貯のかてすくなき時、是を民に かし、利足を加へて各是をかへす、みのりあしき年は、その利の半をゆる し、甚だあしき年は、其之米ばかりを返し納む、十四年用之て、其利米に て倉三間を建て、元米六百石を上へ返し、余り三千石ありしを右のくらに つめ置て、是より民に借に利足をとらず、只へりしろとして一石に三升づゝ をかへてかへし納む、まことに良法といふべし(中略)  高一万石の領地四ツにもせよ、五ツにもせよ、免をさだむる時、その年 貢の外に五厘通りくわへて納めしむべし、五厘とはわづかに高一石に五合 づゝのつもりなり、一万石にて元米五十石なり、されど定りたる年貢さへ、 民力一盃にて定むれば、其上に僅といふとも、甚難儀かる由をいふて心う けがはぬべし、其時誠実をのべて是君の御用にあらず、異日水旱の為のそ なへなる故に、君よりも是ほど出し給ふ旨をつげきかせ、得心せしむべし、 扨亦君へおさむる四五千石の物成の中にても、また五厘通りをのぞきてあ とを納むべし、其除く所の五厘と合して一分となる、是一万石の高にては 元米百石なり、これを其所の庄屋の蔵に貯れ置べし、君の蔵に納むべから ず、元来村々にくらをたつべきなれども、それほどのよけいなければ、蔵 を建つる迄は先貯け置なり、或は城下近き所は御城の明蔵、或は矢倉など につめ置も可也、扨まづしき民あらば、其分際相応を考へて、その保民あ るひは親類のうけ合を以是をかし、冬に至て利足を加て収之べし、一人に 多く借すべからず、若みだりにこれをかす時は、利の為にかるもの多くて、 貧民の為にはならぬものなり、惣じて早く民を悦ばせんとおもへば、必恵 で費るものなり、随分おしみ置て大切なる時に用ゆれば、一人もころさぬ 仕方あるなり、如此して多くはゆれば、高一万石にて元米五百石と、利足 を合せて六七百石にも及ぶべし、八九年も積りて事欠かぬほどになりなば、 倉をもたて、それよりは君よりもいださず、民よりもあつめず、利足を随 分軽くして惜べし其の利米にては貧きものを撰てあとふとも、路傍の修理 に民の力を不用様になりとも、堤川除の普請にもちゆるとも、又国替所替 などあらば、其米の半は君へ引とり、家士の引こしの料とし、あとの半ば を民にわかちかへすとも、兎角如何様ともなりやすきこと也、又其如くめ だたずして、自然に軍用の備にもなるなり、常憲院様諸代官中へ門のうゑ にのぞまんとき、救ひになるべき心得あらば、可及言上の仰あり、其後少 しづゝ御のけ米といふことをせられける人も有とかや、それも甚わづかに して、しかも打つゞきても行はれず、君の御米ばかりにては、多く除んと すれば、御取箇少くなりて国用に給せず、すくなく除んとすれば、きゝん の貯になるほどもあらずして、はては其御米は何になりたるも知れぬよう になれるもあり、其時に社倉の心ある人も無かりしにや、残多き事なり、

常憲院様
5代将軍徳川綱吉







取箇
(とりか)
田畑に課した年貢






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