Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.19

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その44

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第四 飢饉と貯穀
   (一)三倉論
     四 社会法大意 (救餓大意、日本経済大典第十一巻十四頁以下)(2)

管理人註
  

兎角当年のごとき豊年よりなしはじめずんば、何れの時にか善政をおこす べきや、先年京師の貧民を御尋ありて、口をかぞへて各鳥目を給りし事な ど、誠に臨時の救には恵で不費良法なり、御借し米といふ事など、昔は益 もありしやしらず、今にあたりては、甚無益のことなり、今年米価の甚貴 きを以て町人よりこれを願ひ出たりとかや、されどそれも真実の願にあら ず、京の町の困窮したる事を上へしらせ奉らん為と、又は御かし米出ると ならば、其勢にては米価いやしくならんと思ふ心より申出る也、其実は御 かし米と云事は、町人の嘗てよろこばぬ事なり、家もちたるものは、一人 に五升三升の米は必かりても無詮なり、無家のものは飢に及べども、一合 もうけず、是を以て不願なり、今にあたりては、至貧の者のためになるべ き改と、人心の浮花をおさめて、実につくる様なる事のみ急務なるべきか、 今の世の中に繁昌といふて喜ぶ事は、多くは浮花の所作也、一旦毀誉に拘 らずして始終の始を計るべきことにや、たゞし人をえらぶには別て口伝あ るべきなり、此法天下一統の儀にはいかゞあらん、猶私領不得已の大略な り、天下に論ぜん事は卑賤の及ぶ所にあらず、さて此社倉法未だ民に命ぜ られざる前に、君の一決大事なるべし、君必定是を行給わんの御心ゆるぎ なければ、其誠心にて行はれざる事はなき事なり、此命出たるに民うけが はずんば、これをやめ給んとならば必定行はれまじ、若民うけずんば、君 収納の五厘のみをつみて、待給ふ事二三年もせば、その誠実を民みて感ぜ ざらんや、若感せずば、いつまでも君独りなし給ふべし、是にても五年の 所に十年かゝれば同じ事なるべし、愈々效を見るは私なるべし  昌世(小宮山昌世)曰、庄屋の私の蔵に預べからず、郷蔵とて村々に年 貢を収る蔵あり、其中に入置、名主組頭等三四人立合封をすべし  昌世曰、矢倉などにつめ置も、君の蔵に収置に同じければ、少しづゝに ても畢竟其所の為にする事なれば、右に言如く郷蔵におかば、民の心を安 ずる意も有べし  昌世曰、古へ暴君汚吏の邪なる政さへ行れ、くるしみなからも年をつむ ことあり、今仁君上にいまし、賢臣下にありて事をはからば、置郵して命 を伝ふるより猶はやかるべし、一日同志の人間曰、今元米を積事民よりあ らたに出さず、下よりもあつめずしてすこしづゝもなすべきの術有や  予答曰、あるべし、当時国々の城は詰米とて、上より預置給ふ米、其城々 の高に応じて有、常憲院様御代、天和元酉年、元禄十二卯年、安永五子年、 文照院様御代、正徳三巳年に江戸浅草御蔵へ、利足を軽くして夏の間借し、 秋に至て右の意を以て納めしめて、年をかさねば、其效有べし、しるしを だに見及ばゝ、村々の百姓も此事を願ふべし、民心悦ての上は、如何様に もなし安かるべし、誠に民を新にするよりは親しむと云事、むべなり  又曰、此城詰米を借す事来年よりなさんとならば、当冬其城近き御代官 両人ほどに命じて手代一人づゝ出させ、城主の家来立合、米の員数をあら ため、封置べし、翌年の夏よりなすべし、又秋にいたり、元来利足の俵数 を改め封置べし、城主の手前役人を疑ふにはあらねど、事を公に正してす るの一筋ならんか、猶是を行ふの仕方品々あるべし、後の君子を侯と云   享保八年癸卯十一月廿一日書写終                操斎主人吉田正恭

小宮山昌世
(1689−1773)
幕臣、
太宰春台に学ぶ、
農政家、
下総・甲斐など開墾、
甲斐国石和の初代代官、






















常憲院
徳川綱吉
 
文照院
文昭院
徳川家宣





















 


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