Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.4.22

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その46

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第三章 飢饉の公的対策
 第四 飢饉と貯穀
   (一)三倉論
     六 おろかおひ (凶歳必携より)

管理人註
  

 善事を行ふことは、人を救ふより大なるはなし、人を救ふは、飢饉年に 過ぎたるはなし、飢饉に逢ては貧民飢へ疲れ働くこと能はず、子は親を養 ふべき食なく、親も子をはこくむ力なし、斯る時節には必ず疫癘はやるも のにて、終には道路に斃れ死するもの其数を知らず、まことには憐むべく、 悲しむべきことなり、此時に臨んで、身上もよく、仁心ある人は、其力の 及ぶ程は施し救ふべきこと勿論なり、仮令仁心ありとも其力足らざるには、 一時に施し救ふべき手だてなし、爰に於て考ふるに、古人の始め置れし社 倉と云ふ良法あり、社倉とは何ぞと云ふに、社は連中のことなり、連中と は、倉を建て置き、米穀を積み畜へ、飢饉に人を救ふ料とするを云ふ也、 此の社倉世の妨げにもならず、国の費にもならず、取立べき仕方あり、此 の仕方は、連中を拵へ、一人前より一日に銭一文づゝ出すときは、一月に 三十文なり、一年に三百六十文なり、連中百人なれば、一年に三十六貫文 なり、千人なれば三百六十貫文、之を吟にすれば、凡そ三十五貫目の銀な れば、高直の米にても四百斛ばかり囲はるゝなり、此米を以て飢饉の時、 粥などにして施さば、数多の人命を救ひ、功徳善行是に若くものなかるべ し、志ある人は互に勧めあひて、速かに此の社倉の法を行ふべし、一日に 一文の銭は誠に聊かなることなり、一杯の酒を減じても、七文の銭を得、 一飯の菜を減じても、五文の銭を得べし、美味に飽き、美女を抱き、美服 を着、美宅に居りても人に施すことを知らず、猶ほ貧人を呵嘖して利を債 る輩は、一旦は栄華に誇れども、天道好んで還すと云ひて、遂には其恵報 なからんや、有力の人此社倉を取立て、仁を世に施さば、目前にも世人其 徳を仰ぎ、善報子孫万代に及ぶべきことなり

おろかおひ
足代弘訓の著作



疫癘
(えきれい)
悪性の流行病、
疫病
























(こく)










呵嘖
(かしゃく)
厳しくとがめ
てしかること

債(はか)る
 


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