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善事を行ふことは、人を救ふより大なるはなし、人を救ふは、飢饉年に
過ぎたるはなし、飢饉に逢ては貧民飢へ疲れ働くこと能はず、子は親を養
ふべき食なく、親も子をはこくむ力なし、斯る時節には必ず疫癘はやるも
のにて、終には道路に斃れ死するもの其数を知らず、まことには憐むべく、
悲しむべきことなり、此時に臨んで、身上もよく、仁心ある人は、其力の
及ぶ程は施し救ふべきこと勿論なり、仮令仁心ありとも其力足らざるには、
一時に施し救ふべき手だてなし、爰に於て考ふるに、古人の始め置れし社
倉と云ふ良法あり、社倉とは何ぞと云ふに、社は連中のことなり、連中と
は、倉を建て置き、米穀を積み畜へ、飢饉に人を救ふ料とするを云ふ也、
此の社倉世の妨げにもならず、国の費にもならず、取立べき仕方あり、此
の仕方は、連中を拵へ、一人前より一日に銭一文づゝ出すときは、一月に
三十文なり、一年に三百六十文なり、連中百人なれば、一年に三十六貫文
なり、千人なれば三百六十貫文、之を吟にすれば、凡そ三十五貫目の銀な
れば、高直の米にても四百斛ばかり囲はるゝなり、此米を以て飢饉の時、
粥などにして施さば、数多の人命を救ひ、功徳善行是に若くものなかるべ
し、志ある人は互に勧めあひて、速かに此の社倉の法を行ふべし、一日に
一文の銭は誠に聊かなることなり、一杯の酒を減じても、七文の銭を得、
一飯の菜を減じても、五文の銭を得べし、美味に飽き、美女を抱き、美服
を着、美宅に居りても人に施すことを知らず、猶ほ貧人を呵嘖して利を債
る輩は、一旦は栄華に誇れども、天道好んで還すと云ひて、遂には其恵報
なからんや、有力の人此社倉を取立て、仁を世に施さば、目前にも世人其
徳を仰ぎ、善報子孫万代に及ぶべきことなり
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おろかおひ
足代弘訓の著作
疫癘
(えきれい)
悪性の流行病、
疫病
斛
(こく)
呵嘖
(かしゃく)
厳しくとがめ
てしかること
債(はか)る
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