元文四年己未五月、幕府より青木文蔵へ社倉及び年貢等の質問あり、曰
はく、夫食を貸さずして、百姓の有立法、唐土にもありやとの事、唐にて
は代々様々の仕方あれども役人宜き時は法能く行はれ、百姓安んじ、役人
宜しからざる時は、善法も行はれず、畢竟善き役人あり、善法を考へ行は
るゝことゝ相見えたり、又曰く、定免は禹王の法にて、見取り程にはなく
も、毎年見取り口すれば、手代私慾多く、公儀の御為めにならず、只今の
勢にては定免の方、宜しかるべし、又曰はく、定免の上は、凶年の節は、
夫食を貸与せられざる時は、百姓相立たず、依て公儀御世話無くも、夫食
相備はるの儀有りやと唐土の事共相考ふるに、社倉の法に基きて、後代官
御支配高の相応に公儀より金子御貸しあり、稗を調へ、困窮の百姓へ少々
の利をつけ御貸しあり、年を経て利の稗多くなりし時、其高相応に稗を残
し、本利の稗を売払ひ、本金を上納し、相貯へたる稗にて夫食御貸し遊ば
されなば、後々公儀御世話なく、百姓の御救ひに相成るべく、尤も米にて
貯ふる時は悪しゝ、其の訳は、数年の後に若し宜しからざる御代官なれば、
貯へたる米を売払ひ、名代ばかりになり、凶年の節の食に貸すべき様なく、
上下の為にならずとす、唐にても公儀より貯ふる米、後には名代ばかりに
なりたる事、相見えたり、日本は唐土とちがひ海多ければ、荒布海草の類、
年久く経るも損せず、糧になるもの貯へ、夫食に御貸付相なる方宜しとす、
朝鮮は海多き故、海草にて荒を救ふ事書籍に見えたり(青木昆陽申上書)
|