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(百十七代)後桃園天皇、安永五年丙申十月、是より先上杉治憲は畜穀の
急務なるを察し、籾蔵屋敷の内へ新たに三間梁に二十間の備米蔵五棟を建
設し、籾数千俵を畜へ、又大小の諸士に命じて、知行百石に付二斗二升五
合づゝの積りを以て蓄積せしめ、且つ糠野目村・宮村等へも蔵を建て、上
米を籾納に命じて之を蓄へ。以て凶荒に備ふ。是に至て、更に諸村に諭し、
一人に付籾一升づゝを蓄積せしむ、又翌年より村々に郷蔵とて備籾蔵を建
て、毎蔵二百俵若くは三百俵を給与して蓄積補助す(鷹山公偉績録)
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安永五年
1776
糠野目村
(ぬかのめむら)
山形県東置賜郡
にあった村
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