|
飢歳は天地の変にして、いつあるべき事かまへ、角よりしるべきにはあ
らざれども、古きふみにも六歳に一饑、十二歳に一荒などともありて、我
日の本のいにしへより、きゝんの事は史乗にものせ、雑説にも見えて、三
四五十年の間には必ずある事のよし云へり、畢竟天地の変は、天の人をい
ましめたまへるにて、太平の御代、豊年打つゞき、人々御恩徳のあつきに
あまへて、おごりにふける時は、天よりきゝんを降し、人をいましめたま
ふ、是天の人をあはれみ給ふにて、永くめてたき御代のしるしをあらはし
給ふなり、国無道にして、五穀豊稔するは、天の見すて給ふなりといへり、
されば人々きゝんは天の御めぐみと心得、手当によりわざはひをのがるべ
き事をしり、其身をつゝしみ、御制度を固く守り、かゆをすゝり、酒もり
せず、そまつなる衣服を著し、住居の好み事をせず、人と争ひせず、仁心
を本とし、自分の力に及ぶだけは人の飢寒をすくひ、生死をともにする心
得第一なるべし、人の死ぬるをもすくはず、その身許りを思ふは、身勝手
にして天の御心にたがひ、神慮にも背きて、まのあたり重き御罰を蒙るべ
し、よく/\此意をわきまへ、をごりの心をやめ、其身をつゝしみなば、
天のなすわざしひも猶のがるべきことなん
○金銀米穀をもてるものはその身のはたらきにて、身上よくせしなれば、
あながちに身代をふるひて、人をすくひ候へといふにはあらねど、きゝん
の節は憂患をともにする事、古へのおきてなれば、己が家内計生残らんと
のみ思はず、成丈は人に施すべし、善を積の家には、余慶ありといへば、
損とはならすして子孫の栄となるべし
○自分の身ばかりをはかりて、人にほどこさゞるは遏糴とて、唐にても
きつい法度なり、背く時はつみにをこなはるゝなり、自分富貴にて、さし
当りこまる事なけれども、きゝんの程何年つゞく程もはかりがたしなどゝ
思ひて、身をかばひ、しはくして施さず、かく人々心得たがふ時は、米穀
金銀一所にあつまりて、融通なし、御世話ありとも、争があまねくうゑを
すくふべき町々国々の豪商ども、かみより一々身上分限御根究なき内、自
分々々はやくよりわきまへ、有余あらば施すべし、きゝんのすくひにて、
身上をはたきたりといはれなば、生前の面目こゝろよき事ならずや、又す
くひを受くるものも受けざるものも、その志に感じ、口々にほめ立てなば、
天の視る事など、人の見るに従ひたまはざらん、仁君などかろしめさゞら
ん、循吏なんど察せざらん、いたずらに金銀米穀をいだきて、かねの番人
無慈悲の人と呼るゝ事、口おしき事ならずや、凶饑甚しければ、いのち夕
にせまり、火にやかれ、水に溺るゝことゝなれば、意を決してすみやかに
救ふべし
○隣国の人も人なり、自国の人も人なり、中あしき人も人なり、我子か
はゆければ、人の子かはゆきも同じ、天の御眼より見れば、皆人御子なり、
きゝん難義の時は、天道に御奉公と心得、上下とも艱苦をともにし、人我
のへだてなく、近親より施を初むべし
○身上よく施するとも、たかぶるべからず、就中浪人読書の師などは無
禄にて、不農不商不工、生産にのみかゝりがたきものなれば、貧き人もあ
るべければ、富人はすくふべし、仁義をする人を軽んずる事なかれ、其他
すべて武芸する人、及び算術手跡の師など無禄なる人に至るまで、夫々厚
くすくひて、その難をのがすべし
|
史乗
(しじょう)
歴史書、史録
遏糴
(あつてき)
遏は押しとど
める
しはくして
吝くして
根究
徹底的に究明
する
循吏
規則に忠実で
仕事熱心な役人
|