Я[大塩の乱 資料館]Я
2017.3.8

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「大塩の乱関係論文集」目次


『飢饉資料』(抄) その6

司法省刑事局編・刊 1932

◇禁転載◇

第二章 近世の三大飢饉
 第三 天保の飢饉
  三  売米張札(1)(異聞雑稿、続燕石十種第二一一頁以下)

管理人註
  

 芝の三田に松屋某といふ俄分際あり、人あだ名して乞食松屋といふ、行 状鄙吝なればなるべし、癸巳の秋(天保四年?)八九月より、米価踊貴に より、この乞食松屋、米六千苞かこひけるよし露顕して、その米庫には町 奉行より封印をつけられ、松屋某は吟味中手鎖にて町役人に預けられたり、 こは九月のことなりき、しかるに九月廿八九日の頃、芝高輸辺本所深川辺 なる町々の木戸、并に橋の欄干などへ張札して、此節米穀高値に付、望之 者は十月朔日より三日の間可被参候、芝三田松屋某と記せしかば、十月朔 日の早朝より、件の松屋の本宅へ米を買んとして来ぬる者幾百人といふ限 りもあらず。この義松屋にては夢にも知らざることなればうち驚ろきて、 さる張札をせし事はあらず、当所は是質店なるに、いかにして米を売んや、 そは聞あやまちたるならんとて諭すを、絶て聞くものなく、正しく処々へ 張札をして置ながら、今さら知らずといはんや、われらは遠方より安き米 を買んとて、けふ一日の商売を休み、且衣物を質に入れて、銭を調へても て来ぬるに、手を空うしてかへらんやとて、異口同音に罵りて甚騒動した りしかば、困じて銭二百文をその人別に施して、やうやくにかへり去らせ しに、近所の貧乏人等件のよしを聞知りて、さらば又われも/\と彼ほど こしにあはんとて、又数百人群集したるに、後れて来ぬる遠方の貧乏人等 も、等しく松屋の門につどひしかば、幾千人といふことを知らず。かく限 りもなき事なれば、松屋にて後度のものどもには云々をことわりて、些も ほどこさゞりければ、これよりふたゝび騒動して、相罵ること甚しく、或 は家内へ礫を打つものあり、或は馬の敗れ鞋などを投入れて、殆狼藉に及 びしかば、町役人等立出で、そを制せんと欲りせしかども、数千人の事な れば、いかにともせんかたなく、行く人路を去りあへず、終日捫沢したり しとぞ。この日四谷塩町なる某はからずも、件の町を過らんとして目撃し たりとて、異日予が為にいへり。かの次の日、町触の官令あり。件の趣を しるされて、向後左様なるこゝろ得違へすべからず。触知らし給ひしとな り、(中略)


鄙吝
(ひりん)
いやしくて
けちなこと



















































(わかじ)


捫沢
(もんたく)


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