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癸巳の冬十月窮民を御救ひの為、御勘定奉行より御米十四万俵を江戸中
なる舂米屋等へ、百俵に付代金四十二両にて渡し下され、そを舂精けて百
文に付白米一升幾勺にか売るべし、但し買ふ者一人に三升の外は売るべか
らずと命ぜられけり、これにより舂米屋等出銀して、その御米を配分せし
に、から臼一碓もてるものは、御米十二俵うけとり、二からは廿四俵、三
からは三十六俵也。しかるに当時は市中白米の小売は百文に五合五勺也け
れば、その御米を定められたるごとくに売らず、いと下直なる極陳米を二
三斗買取て、そを一升余に売わたし、暫時の程に御払米売切申候と書たる
紙牌をかけたるもあり、或は定められたる価には売らずして、売果たりと
いふもありと風聞す。この事上にも聞えたりけん。御勘定奉行より舂米屋
の行事等に下知せられて、件の御米はいづれの日に、いかなるものどもへ
売渡せしやとて、内に御とりしらべありけれども、初めより買ふものゝ町
ところ名まへ等を問糺して、帳面に記おけといふ事もなかりしかりしかば、
舂米屋はみな御定めの如く売り終り候と申すのみ。又しいだしたる事もな
くて已みにきといふものあり、或は彼御米を初に町役人等に渡し給ひて、
私なからんやうに掟られなば宜しかりけんを、さる沙汰のなかりしかば、
いとも有がたき御慈悲はあだとなりて、舂米屋等にまうけられ給ひにきと
呟くものもありけり。虚実は知らねども、この事まことならんには、いと
憎むべき奸民にあらずや。
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癸巳
天保4年
舂米屋
(つきごめや)
碓
(うす)
陳米
(ひねごめ)
一年以上たって
古くなった米
掟
(さだめ)
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