『商業資料』大阪経済社 1895.7.10 所収
適宜、読点・改行を入れています。
アゝ大塩の如き非凡の才学を以て、遂に 無謀の悪徒視せらるゝに至る、
実に惜むべきなり
素より大塩の志たる、決して其私心を擅まゝにせんとするものにあらず、
然れども既に其事破るゝに及んでは、亦た人情の常として大塩の志を憐れむものなきなり、
今こゝに大塩の挙兵余聞として 掲ぐるものは、多くは大塩を非難するものなれども、亦以て当時人心の情勢を視(うかご)ふに足るべきものあらん、
左の桑名藩士の文通なるものは、越後柏崎より致せる、大塩残徒に係る始末書なり
同村庄屋 新平方へ押込ミ、抜き身の刀を以て威し廻し、酒食をねだり、且つ村役人の儀ゆへ、定めて剣戟等も所持致すべきに付き、差出すべき旨申し聞け候へども、新平留守にて指料の外、所持致さゞる旨申断り候処、居間に掛け居り候鎗を奪ひ取り、
直ちに同村組頭庄三郎宅へ押込み、所持の金銭差出すべき旨申し威し、これも留守にて金銭貯へこれ無く旨、相断り候へども、居宅へ踏み込み、箪笥打破り、金子拾両程取り出し家裏に積み置き候焚き物へ火を付け、一時に燃へ立ち村中のもの共、駈け集まり候処、
悪党ども申聞け候には、定めて聞及びも候はんが、大塩平八郎儀、近年世上一統、困窮差迫り候に付き、窮民救ひの為め、大阪表に於て旗を上げ富家の金銀米銭を取出し、貧民に分け与へ、家の政事も改革致すべき処、計らずも敗軍におよび、平八郎打死と申し触れ、
全く謀略にて実は大阪表を忍び出で、此度当国へ罷り下だり、貧民どもこれ迄の窮苦を救ひ、忽ち富貴に致し遣はすべく、先づ金子分け与え候とて、庄三郎方より奪ひ取り候金子拾両ほど取り散らし、
其上同人の土蔵を明け、積み置き候米穀勝手次第、奪ひ取るべき旨差図いたし、 これより柏崎へ乱入、金銀米穀望み次第、分け与へ候間、案内致すべき旨申し聞け候に付き、
弁へもこれなき愚民ども、慾心に迷ひ荷担ぎの者二三十人、同所 より一同に参り、真先に籏(天命を奉じ国賊を誅すと書し)を押立て、
翌六月朔日卯中刻頃、悪田川を渡り、納屋町浦より直ちに御陣屋へ乱入、(御陣屋は当二月中御門前、御長屋、御役所とも残らず類焼、土蔵のみ四棟焼け残り、当時普請中にて、家中衆も残 らず御陣屋最寄大窪村に仮宅住居にて二丁三丁相隔たり住居、御陣屋には御門番仮役所に番の衆詰)
仮御門へ火を掛け、鎗刀を振り廻し、大塩平八郎党のものなり、相手に成るべき者は罷り出づべき旨呼バわり、無二無三に乱妨致し候に付き、御門番同心多勢に取り合ひ難く、其場を差置き役頭中へ注進に駈け付け、
賊党ども仲間部屋へ駈け込み、部屋頭又八へ切掛け、即死残りの仲間ども狼狽致し候処、其方ども差構へこれ無き間、武器蔵へ案内すべき致旨申し聞け候へども、彼これ申し紛らし逃げ出で、
其処へ仮宅住居の役人卿手代藤岡金蔵、卿使島橋助八郎、加藤才助申合せ、御陣内へ狼藉もの入込み候とて、三人一同駈け付け候処、賊党乱妨の体に付き、其侭番所に差置き候突棒刺杖を以て、賊徒を突き倒し召捕に相掛り候処、賊党手早く附け入り、助八 郎、才助両人疵を受け、拠なく其所引取り候処賊党三人前後より切り掛け、金蔵其場にて即死
其所へ勘定人伊原次兵衛、駈け付け、直ちに切り結び、賊党一人既に相留むべき所、残徒ども駈け付け、左右より切掛け、何分防ぎ難く即死(以上三人死)
其内勘定頭役松岡彦之進同苗勝四郎、同役岩崎台助(六十余の老人)一番に駈付け、之れも年柄ゆへ御領分の百姓ども、騒動の心得にて彦之進台助は手鎗、勝四郎は薙刀、引ツ提げ御陣内へ駈け込み候処、乱妨最中ゆへ直ちに大戦に相成り賊党ども鎗、薙刀にて、薙ぎ立て深手を負ひ、互に必死取合ひに相成り、
其内郷使内山甚内其外両三人駈付け、手合に加はり賊党二人討ち留め残徒并に雑人とも溜まりかね、深手ながら御門前へ逃げ出で、直ちに追い掛け候はゞ其場にて残らず討ち留むべきの処、何分不意の儀此上賊勢何程乱入致し候も計り難きに付き、立止まり夫々固め申付候内、追々家中の面々駈け付け浜辺に於て四人討留め以上賊徒七人の内六人討留め、一人は討残し行衛知れず、誠に不慮(ふい)の儀一騎掛けの勝負ゆへ手負の衆も六七人これあり
併しながら、松岡父子、岩崎氏急速に駈け付られ、激げしく討ち立てられ候ゆへ、暫時に賊徒六人討留、左も無く候ては、追々雑人ども相加はり何様の大事に及ぶべきやも計り難きは勿論、市中にて大塩平八郎徒党のもの、蒲原郡筋にて党を結び、頭立ちたる者二三十人、其外百姓二三百人、相加はり飛び道具等を以て、御陣内へ乱入それより市中重立ち候ものへ仕掛け候など、とりとり噂さ立ち、早鐘等をつき立て、右往左往騒動一方ならず、
之に依り御陣内より急速御人数繰り出し、市中口々御固め、人気取鎮 め候に付き静謐に相成り候へども、賊徒ども何故にて乱妨候や、更に趣意相分らず、
年柄の儀ゆへ無頼の者ども同様容易ならざる企てに及び候哉、計り難きに付き、最寄り諸家方へも急報御通達に御座候、諸家方より当方へ御人数御繰出左の通
牧備前守様 物頭 由良寛左衛門 目附 松美団右衛門 足軽小頭 松本庄助 足軽 二十七人 馬二疋 二番 物頭 鬼頭六左衛門 足軽頭 松山勘左衛門 足軽 二十五人 馬二疋 兵舟奉行 桜井藤左衛門 上下九十一人 馬三疋 外に 才料二十人 小荷駄馬 二十五疋 夫 百六十三人
右の外、荒浜へハ天板より物頭二組相詰め、高田よりは体崎御関所まで物頭詰められ、一左右次第当方へ相詰め申すべき積り、其外国中諸 家より、御見舞の使者等参る所有之候
(未完) *1