Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.12.

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『青 天 霹 靂 史』

その11

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

平八郎は報を待つこと数日にして、一日善右衛門等連名の書を得たり、欣喜して止まず、封を裁して之を読むこと一過、呆然として驚き、憤然として怒り、書を地に擲て叫び、曰く、

奴輩何者ぞ、吾を沽る、此に至るや、吾当(マサ)に一身を犠牲に供しても窮民の為めにする所あるベし、

と、眥を決して起ち、急に人をして庄司義左衛門を呼ばしむ、

義左衛門到る、平八郎曰く、

吾が金を豪商輩に借て、施与の資に充んとしたるの志は、足下の知る所の如し、因て吾自ら其各家に就て之を説たりしに、彼輩荏冉数日を延き、之を町奉行所に密告して其指令を聞くの後、今日を以て此書を寄するに至れり、足下向(さき)には吾志を二十余人の有志者に告て、以て此事に同意せしめたりしが、今や吾の不敏不知なる武弁の身を以て、市人輩の為めに沽らる、吾れ何の面目あつて彼諸氏に見えんや、吾れ自ら決する所あり、以て為すあらんとす、
彼輩平生金銀を諸侯に貸附して非常の高額なる息子を収めながら、尚ほ扶持米を貪り、家老用人等の格を受て得意の事と為し、常に絹帛の服を着し、珍奇の具を玩で顧みることを知らず、乃ち市人の身を以て侯伯も及ばざるの驕奢を極め、家に婢妾を蓄ヘ、厨に粱肉を積で、日夜宴楽酒色をのみ事とするに至り、甚ければ諸侯の士と援引結托して、物品の上納払下等に於て言語に絶したるの利益を収め、之が為めには、時に主務の士輩を誘引して狭斜に遊び、一刻千金の大会を張て、金銭を沙礫の如くに浪費することも少からさるに、今や吾輩が饑民を憂るの余に出でゝ、世禄を質して若干の金円を借んことを請ふに当れば、忽ち之を奉行所に告げ、其命を辞ネとして之を謝絶するとは、何等の無礼不仁そや、
己れが錦衣玉食の安きを知て、今日窮民の襤褸も掩ふことを得ず、糟糠だも食すヘからざるの苦しみを知らさるか、悪むベきも甚し、
又町奉行諸有司の如きも然り、彼徒多くは徳なく、識なきの小人を以て路に当るに依り、苟も吏治の一端に任ずる者は、宜く民の凖的たるベき行儀を修めて、廉潔の俗を養ふベきは其専一なることを知らず、日に小人驕傲の風を長するのみにして、曾て仁義道徳の行を為したることなく、唯日夜に苦心する所は、朋党援引して、其身を立て、其職を前め、威牽に憑頼して百姓を圧伏し、過度の賦税を徴し、臨時の用金を課し、若くは賂を貪りて、私門を営むの費と為んと欲するの外他あらざるなり、


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