Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.2.5

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その10

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

次日善右衛門は、天王寺屋五兵衛、三井八郎右衛門、内田惣兵衛、米屋平右衛門等二十余人を会して、之に言て曰く、

昨日は大塩氏来て、大坂市民の饑渇する者を救恤せんが為め、天満の与力同心二十余人の連署を以て、其世禄を抵当として若干の金を諸君と吾とに借りしことを談ゼられたり、吾れ大塩氏の名を聞く事久し、今其人に接するに、果して其名に負かざる有徳の人にして、饑民の状況を憂苦するの情、言外に溢るゝを見る、故に吾は貸すに五千両の金を以てせんと欲する所の志なり、希くは諸君の如きも適当の出金ありて、之を壱万両と為し、救恤の元資に充てしむるの奮発あらん事を 望む、

と、衆人曰く、

果して然るか、夫れ大塩氏の名たるや、府下に高し、其一人を以てするも、之を饑民の為めにすると言はゞ、焉ぞ一時の貸与を辞すベけんや、况や二十余人の連署あるに於ては、之に応ぜさるの理あるベからす、宜く適当の分割法を以て出金なすベきなり、

と、議将に決せんとす時に、米屋平右衛門は、一人、初めより言あらさりしか、遽かに席を進めて曰く、

吾の見る所は諸氏と異なるを以て、之より少しく其説を陳る事を得ん、夫れ饑民を賑すは城代奉行等の宜く為すベき所なり、大塩氏たるや其名声は府下に藉甚なりと雖も、畢竟組与力の身に過きずして、且つ今は則ち退隠の身に属することを顧みず、其分を超え、其長上を擱て此事を行んとするは、豈に其名を売らんと欲する者にあらさらんや、
若し其名を売るが為めならざるも、吾輩一に同氏の言のみに依て、卒爾に此金を貸附する時は、後日奉行所の訊詰に会て、之を何とか言ふベき、恐くは分疏する所なからんとす、故に吾は事の始終を奉行所に陳供して、其認可を取り、然後に貸附するも晩からずと為す者なり、 諸氏以て如何とかする、

と、衆皆、之を聞き驚き謝して曰く、

平右衛門氏の言なかりせば吾輩虞(ハカ)らさるの後難に罹らんとせり、何ぞ其言に従はさらんや、

と、於是議頓に決す、

因て状を具して、之を東町奉行跡部山城守に愬ヘ、以て其指令を待てり、然るに数日にして、山城守は其令を伝ヘて曰く、

向に平八郎は、其養子格之助をして饑民を賑さん事を請はしむる者再三なりき、然れ共倉廩匱乏の虞ありと称して、之を斥けたりしが、今又恣に市民に説て、其金を借り施与の料に充んとするは、察するに自己の名誉を売らんと欲する者に外ならず、悪むベきの所為と謂ふベし、苟も奉行所の指令なきに、金円を平八郎に貸与する者あらば、後日必らず厳科に処すベきなり、

と、善右衛門等指令の書を得て惶懼して措く能はず、乃ち書を作て連署し、以て之を平八郎に送り、其調金を辞謝したり、

嗚呼大坂の豪商は、何ぞ如此の善挙に与みするに勇ならさりしか、
嗚呼大坂の豪商は何ぞ之を町奉行に愬ヘさるも、後難なきの方法を求めて、平八郎の志を為さしめざりしか、

吾曹を以て之を見るに、畏懼の情、其表を蔽ひ、慳吝の心、其裏を制して此に至りたる者と謂はざるを得ず、義人平八郎の如き者をして大坂市中の大半を烏有にするの暴挙に及ばしめたる者は、実に大坂の豪商之を媒すと言んも辞することを得ベからず、

嗚呼昔日の市人が一に有司の鼻息を仰で、其安を計るのみにて、毫も耿介不覊を以て、世に立つの特操ある事なく、又一身一家の安栄にのみ耽て、社会の利益を思はさるの情、其れ歎ずるに堪ゆベけんや、


石崎東国『大塩平八郎伝』その97


『青天霹靂史』目次/その9/その11

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