Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.5

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その14

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

明る天保八年丁酉の正月に及ベば、天下の饑饉は愈甚しきを加ヘ、各都会の小民に至ては、惨憺の状実に見聞に忍びざるの域に陥落し、就中大阪の如きは、市街寒村に接続し、従来貧民の多数なりし土地なるを以て、他の都会よりも一層の困窮を増すに至り、今は市中到る処に凍餓の声を聞かざるなきの惨状を現じたりき、

是日に当ては、苟も一片の仁心ある者は、必らず兄弟相憐むの情を発して、之を救助せんことを思はざる可らざる者なるに、当時大阪の土地は、少くも二十万の人口は之ありしなるベきに、一の微禄なる組与力の隠居大塩平八郎を措ては、官民を挙て窮乏を救ふの事を企る者なく、有司富商は貨を擁し、穀を積で圜視するの情況ありしは、不仁も亦甚しと謂ふベし、

思ふに、上下恬安の久しきに馴れ、無知無識に安んじ、皆以て外欲の私に勝つことを知らず、一身の安栄をのみ計れば可なり、他人の事は顧るに遑あらざるなりと為して、言を恩施徳恵は人の本分にあらずと謂ふに仮りて、此惨状を等閑に看過せし者に外ならず、

然らずして、苟も真正なる知識の幾分を備得たる者あらしめば、豈に斯事ありとせんや、決して有道の士にして他の窮餓を等閑視することは、吾曹が聞かざる所たればなり、然れとも、之を以ても当時の天地に人なかりしの実は知るに足る者あらんとす、

平八郎の如きは江の学を講じて、頗る良知の事を究め、道義の奥をも探得たるの人にして、碩儒と並立つに足るの識学ありしを以て、自ら其良知に感じて、饑民の状、日一日より悲境に陥ることを見聞する毎に、惻怛の情抑んと欲して、抑ふベからず、一に之を救恤せんとするの意に切なりしことは、新日の一詩を以ても猶ほ之を証すベし、

其詩に曰く

寔に誠を良知に発して饑民を思ふの意深うして切なること見るベきなり、


管理人註
*1 天保5年作とされる。
石崎東国『大塩平八郎伝』 その63


『青天霹靂史』目次/その13/その15

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