Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.3.12

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その15

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

其然るを以て則ち、一日書賈河内屋喜兵衛等数人を呼で、之に言て曰く、

吾の文学を好で書を償ふに、曾て其費を惜まざりし事は、諸氏の知る所の如くにして、常に飲食を菲うし、衣服を悪うして購書の資に供するに至りたり、是以て文庫に蔵する所の書は、啻に五車のみならずして、亦稀世の書も少しとせざるなり、然れ共擁書の楽は民の凍餓に代ゆ可らざるを以て、今や吾は一切の蔵書を鬻で、施与の資と為んと欲するの決心なり、子等適当の価額を定め、之を購ふベし、

と、喜兵衛等皆平八郎の門下に出るを以て切に之を止むと雖も聞れず、因て相議して之を市に鬻で、金六百五十両を得たり、乃ち之を平八郎に納れ、且つ之に言て曰く、

先生若し之を頒て窮民に施与せんとせば、弟子等願くは其事に周旋して、先生の志を成んとす、

と、平八郎大に喜で之を托したるを以て、喜兵衛等は即ち一紙を彫り、其事を記して人を市街及び近郷の各村に馳せ、普く窮民を探りて其証を領布せしめたり、蓋し限るに一万人を以てす、其証は左の如し、

期に及ベば其証を受る者陸続来て、施行所の門前に雲簇し、未だ午時に至らざるに全く之を施与し尽したり、是日や饑民は恰も撤鮒の水を得て生るが如き思ありて、歓呼の声、洋々として市街に盈てり、

之よりして平八郎の名声、益府下に高く、其施与を受けたる者と受けざる者とに論なく、皆其徳を尊崇して神の如く之を崇祀して、後世に伝ヘんと称するに至れり、然るに跡部山城守は之を聞て嫉悪の情に堪えず、乃ち格之助を奉行所に召喚し、私名を売らんとして猥に施与を窮民になしたる者と為して、上司を蔑するの罪軽からさる旨を達して譴責を加ヘたり、

嗚呼施与の濫に失する者は、窮民を増加するの弊ある事は、学理の常に之を戒むる所なりと雖も、平八郎が施与の挙は、将た濫に失したる者と為んか、将た当然を得たる者と為んか、識者を待たずして之を知る所あるベし、然るを且つ平八郎が其譴責を免れざるに至ては、何の理に出る者ぞ、吾れ実に仁を行ひ、徳を施して人の譴責を受る者は古来其類ある事を知らざるなり、


施行札


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