島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
吾れ悪ぞ不仁不義此の如きの輩と世に立つを屑しとせんや、故に弾丸硝薬を以て、彼の町奉行有司及び驕商等に報じて、饑民の為めにする所あらんとす、
然れ共、吾が之を為すは、乱を好むにあらず、止むを得ざるに出るを以て、足下に托して、吾心事を後来に明さんとするなり、凡そ今の学者と称する輩を見るに、学理の範囲に蟄在するのみにして活々地の気象を有する能はず、事に触れては、怯懦にあらざれば、無気力にして、与(トモ)に語るに足る者なきは、滔々として皆是れなるが如し、
果して然らは、時に古英雄の蹤に感じて、得々天下の大策を論するも、唯左用の書史を離れざる者にして、目に万巻の書を読み、口に天下の形勢を論するとも、軍談講釈を以て糊口の業と為す者と、何ぞ択ばんや、
吾党、実学を以て其目的となす者が、諸般の愁境に依て、愈感覚を大にして、動かす可らざるの丹誠ある者に及ふ可くもあらざるを知れり、故に吾は殊に足下を選んで嘱するに、此事を以てするのみ、
と声色共に励し、義左衛門曰く、
先生の言、謹で之を諾せり、然れ共、此恨は特り先生のみにあらず、二十余人の者悉く然り、且つ仁義の公を以て、不義の私を懲さんとす、其志の今日に見れさるも、豈天下後世の之を知る者なからさらんや、一時の汚名は決して惜むに足らさるなり、故に僕は世に存して之を証するを好まず、希くは先生の驥尾に附して努力せんと欲するなり、
と、平八郎曰く、
然らば則ち、足下復た将に吾挙に同意せんとする者か、
曰く、
然り、
曰く、
若し然りとせば、吾必
らず足下と共に運籌画策、其事を挙くベし、
と、於是、二人計議大に熟し、爾後平八郎は窃に其党与を募て、一挙に及ぶの準備を講じたりき、