Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.2

玄関へ

大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その18

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

時に遇ま、宇津木矩之丞と云ふ者至る、矩之丞は彦根の老職下総の二男なり*1、武技卓絶にして又文学あり、向に平八郎の名を聞き、笈を負て来、学ぶ事年余にして、去て西の方九州に歴遊せしが、今将に彦根に帰らんとするを以て、途次師門を叩き、平八郎の安否を問ふ者なり、

衆之を聞き曰く、

是れ何の幸ぞや、該氏を得るは自余の衆、幾人を得るに勝れり、実に衆愚の諤々たるは、一賢の怡々たるに如かざるなり、願くは之を勧めて此義挙に与せしむるは如何、

と、平八郎も亦然りと為し、且(シハ)らく休息を与ふるの後、乃ち之を密議の席に延て告るに、挙事に及ぶの始終を以てして、其加盟を慫慂せり、矩之丞は倅然此事を聞き、一驚を吃したりしが、漸くにして、

以為らく、吾の不運此に至るや命なり、之に与するも、固より死せん、之に与せざるも、亦生くベからず、唯だ義と不義とを擇で、父祖を辱めざるにある可きなり、因て吾は其義に似て義ならざるを諌めて、此に死せんのみ、雖然吾に尚ほ二尊の在すあり、日夜其帰家を待つ、若し告るに児が胸中を以てして、後に死せずんば、蓋し不孝、之より大なるは無らん、故に今は仮りに之を諾して、其情を故国に寄せ、然後に師弟の分を尽して諌争なし、死して止むを可とす、

と、陽て其命に応じ粉骨する所ある可きを約したるを以て、衆皆相悦で措かす、乃ち更の闌なるを以て、次夜に相会せん事を約して各其家に就けり、

矩之丞は特り一室に退き、半夜人定て四面寂寥たるを待ち、窃かに郷書を草す、書中懇ロに永訣の意を序して、終りに繋(カク)るに二尊若し大坂の暴挙ありと聞かば、児既に今世の人ならずと為せ、との数言を以てしたり、孤灯剔尽して猶ほ明なるを得ず、暗涙潜々として双瞼為めに湿ふ、

詰朝僕友蔵を呼で之を托し、潜かに近江に発足せしめ、以て其夜を待つ、


管理人註
*1 静区の父は、宇津本久純。下総は兄。


森繁夫「宇津木静区と九霞楼


『青天霹靂史』目次/その17/その19

大塩の乱関係論文集目次

玄関へ