Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.9

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その19

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

夜に至れば、衆皆密席に会せり、矩之丞乃ち進言て曰く、

昨は諸君僕に告るに、云々の事を以てせり、因て僕熟ら之を考るに、事の大に非なる者あるを知る、蓋し先生、民の窮餓を憫むの情、黙止すベからず、猶ほ水流の石に激して潰沫乱飛するがごとく、他の障碍に遇て憤懣此挙に及ぶや、頗る其理あるに似たれ共、僕を以て之を見るに、未だ尽さゞる所あるを如何せん、夫れ有司の吏権を張るは、其下民を治るの権道に於て、然らざる可らざる者あるなり、
又官廩を開て饑民を賑はさずと云ふに至ては、国貯の緩急に依るベし、強ちに之を尤むベからず、又富商の輩が之を為さずと言ふが如きは、私有の財を出すと出さゞるとは、其人の意に任すベき者なるを思はず、他人より之を制せんとする者にて、不可も甚し、如此にして如何ぞ義挙と称する事を得んや、
(タト)ヘ之を許して義挙なりとするも、大坂の豪戸は幾許もあらず、貧民の数は之に幾百倍すベきに、彼豪商輩を悪むが為めにして、火を市街に放たば、則ち窮民を救んとして、反て之を苦しむる者とならんとす、宋人が其苗の長せざるを悪で、之を堰くよりも猶ほ陋なり、思はずんばある可らず、况や古より是等の挙を企てゝ未だ其功を成したる者を聞かず、事は未だ半ならざるに、禍は忽ち其身に及で体躯、所を異にするに至る者、比々皆是れなり、先生の明、豈に之を知らざらんや、
願くは之を思惟して、先生事を中止し、正道の純に復されん事を、僕死を以て之を諌争せんと欲するなり、

と、辞気共に励し、衆相視て未だ答る所あらす、


森繁夫「宇津木静区と九霞楼


『青天霹靂史』目次/その18/その20

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