Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.4.16

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その20

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

義左衛門曰く、

足下の言、理あり、先生も亦、夙に得失を較す、然れとも先生の此挙を為すは、固と一身を犠牲に供して、民の凍餒する者を救んとするに在て、乃ち必死を分とするのみならず、族を赤うし、祀を絶つも、甘じて避けずと為す所なり、豈に一身の安を計りて之を為す者ならんや、唯其願ふ所は、此一挙を以て、大に後来を懲するに在りて、官府恩徳の政を施し、有司奸曲の行を慎むに至り、貴者権を沽らず、富者義を忘れすして、窮民永く其慶に頼らしめんと欲するのみ、安ぞ義なる、先生の挙の如き者ありとせんや、足下今にして命を惜むとせば、止めよ、否らずんば躊躇すベからざるなり、

と、矩之丞曰く、

僕亦士人の家に生る、其義に当ては、命の鴻毛よりも軽きの理を知れり、豈に怯にして之を畏るゝ者ならんや、然れとも足下の言の如んば、謂ゆる暴を以て暴に易る者にして、吾れ其非を知らざるなり、焉ぞ此非挙に与して、父祖の名を辱しむるに忍びんや、請ふ、之を辞せん、

と、言畢て大息す、平八郎は之を見て言を和げ、曰く、

吾れ吾子が志を嘉みす、吾れ吾子をして之に与せしむるを欲せざるなり、唯吾の如きは、今にして之を止むるも、典刑の後ヘに至らんとする者あるを以て、寧ろ初志を成すの外、他あらざるなり、吾子其れ速に此を去て、国に往け、

と慰諭、具さに至る、因て一室に退かしむ、矩之丞謝して席を退く、


『青天霹靂史』目次/その19/その21

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