島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
既にして勘左衛門は只管逮捕の役を免れんと欲し、乃ち一策を案じ、山城守に建言して曰く、
同組与力大西与五郎は、即ち平八郎の叔父たり、故に之に命ずるに平八郎を説諭して首服自死せしむべき事を以てし、若し服せずんば刺して死し、国恩に報すべきを令せられよ、然るの後は自余の党人幾許あるも攻めずして潰ん事疑あらざるなり、
と、山城守、亦然りとし、此議を以て急に与五郎に命じたり、然れ共与五郎は、平八郎の鉄心、決して動かす可らざる事を知るを以て、終に其命を行はず、遁逃其身を匿せり、山城守は之を知らざるなり、唯事の破裂に及ばゝ、或は変難を醸さん事を慮り、私に之を江戸に報ぜん事を計り、急に助次郎を呼び、之に言て曰く、
吾れ今は此事を以て汝に附して帥府に報ぜんと欲するなり、汝此書
を持して江戸に之き、前東町奉行矢部駿河守*1に就き、事実を具述すべし、敢て托す、
と、一書を封与し、隷するに僕二人を以てして、是夜俄に江戸に向て発程せしめたり、