島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
平八郎の党人に、平山助次郎と云ふ者あり、同組の同心なり、将に事を挙んとするに先だつて、俄に其志を変じ、十七日の深夜を以て跡部山城守の邸に至り、委曲に平八郎の密議を告訴したり、
山城守は之を聞て大に驚き、先つ助次郎の他言を止め、家に居て其命の下るを待たしめ、明日公用を以て堀伊賀守に会するの序(ツイデ)、告るに、其事を以てし、相議して、先つ明日巡見の事を停止し、人をして平八郎を逮捕せしむべきに決し、各其邸に帰るの後、山城守は組与力荻生勘左衛門*1に、伊賀守は組与力吉田勝右衛門に其指揮役を命じたり、
二人色沮む、殊に勘左衛門の喪色啻ならず、窃に謂ヘらく、
平八郎の武術は吾輩の企及ぶべきにあらす、況や多数の門生を集めて此事を挙んとするに於ては、固と充分の準備あるべし、焉ぞ寡少の人を以て手を下す事を得んや、事に托して之を避るに如かざるなり、
と、乃ち言を巧にして山城守に啓して曰く、
此事たるや、助次郎一人の言に出るのみにして、虚実未だ知るべからざるに、卒然手を下すの理あるべからず、若又之をして実ならしめんか、彼れ既に火器兵仗を蓄ヘ、党人夥多を募ると云ふ、容易に逮捕する事を得べからざるなり、反て彼の制する所となりて、禍端を引く事あらば、悔ゆとも及ぶべからず、是以て小人願くは彼を誘て、之を甞み、緩急其時に及で処分するの方あらん事を希望す、
と、山城守、大に之を可とし、伊賀守に通知して先づ其逮捕の命を止む、