Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.5.14

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その24

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

翌十九日に至れは、昧爽又復た吉見英太郎、河合八十次郎の二人、予て吉見九郎右衛門の記する所の告訴状一通、及び平八郎党与の連名書、及び檄文を取り、西町奉行堀伊賀守に呈し、且つ告るに準備の巨細を以てして、其戒心あらん事を望みたり、先是東組与力に吉見九郎右衛門、河合郷右衛門と云ふ者あり、二人偕に平八郎の挙に与し、専ら其議に参したるも事の成り難きを恐れ、中途にして其図を改め、九郎右衛門は病に托して平八郎の家に往来せす、郷右衛門は逃走跡を晦まさんとするに当て、一書を其子に遺し、告るに事実を以てしたりしかは、至是二人の男英太郎、八十次郎は、乃ち之を町奉行所に密告するに及びたるなり、而して九郎右衛門の訴状を作るや、自己の非を飾らんとして、不実の事を搆造し、平八郎を汚辱せし事少しとせず

就中平八郎が養女を私して、子あらしめたりと云ふが如きは、尤も其非の甚しき者にて、終に之に由て平八郎が科書にさヘ之を記して、後世知らざる者は、厳明方正如此の人にして、尚ほ閨門を紊るの此に及ぶかと思はしむるに至るは、悪むべきの所為と謂はざるべからず、

伊賀守は事の猶予すべからざるを察し、俄に使を山城守に馳て、之を報じ、逮捕の令を下さんとせり、


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