島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
然るに平八郎連署の士、瀬田済之助、小泉淵次郎の二人は、昨夜会ま山城守の官邸に宿直したるを以て、山城守は、先づ之を訊鞠して、其顛末を知り、然後事の処分に及ばんと欲し、乃ち二人の者を呼ばしむ、
済之助、淵次郎の二人は、之を知らず、至れば則ち警戒の意あるを見て、大事既に発露する事を知り、遽に走て官邸を去んとす、
諸士之を見て追ふ事急なり、将に及んとするに依り、二人
其遁る可らざるを知り、刀を抜て之を禦ぐ、諸士も亦、之に応じ、格闘する事数分にして衆寡敵せず、淵次郎は諸士の為めに乱刺せらる、
済之助は其間を得て脱出し、平八郎に告るに、事の発露することを以てして、速に衆を部署して発出せん事を請ヘり、平八郎曰く叱、
大事既に発するか、吾れ急に兵を勒して為す所あるべきなり、
と、四方より来て此挙に与する者、及び今朝施与ありと佯称したるが為め来会する所の人衆を点検せしむるに、四百許人を得たり、因て之に説くに、其仔細の状を以てして、乃ち糧食兵仗を頒ち、尚ほ若干の金円を与ヘて、不時の食料たらしめ、以て其号令を発するを待たしむ、
平八郎は、事既に発覚するときは、両町奉行の必らず朝岡の宅に来る可らざるを知り、急に硝薬をハ百目砲に装して、建国寺の屋を望で、発射せしむる事二回、以て之を焼んとしたり、
然れ共火終に発せず、葢し建国寺は、徳川家康の廟を置くを以て、其出火に及ばゞ両町奉行の来り援ふべきは必然の事なれば、平八郎は是時を期して之を掩撃せんと欲するの所志なりしなり、