Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.6.18

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その26

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

於是、平八郎は其衆を分ち三と為し、格之助庄司儀左衛門、大井正一郎を副して先鋒たらしめ、自ら渡辺良右衛門、近藤梶五郎等腹心の徒を率て中堅に備ヘ、瀬田済之助をして後陣たらしめ、橋本忠兵衛、白井幸右衛門等に命して緇重を掌らしめ、木製の大数台を挽き、小銃数十挺を携ヘ、救民の二字を大書したる小旗、子持筋に桐の徽号を署したる差物 天照太神宮、八幡大菩薩、湯武両聖王と列書したる大旗等を樹て、隊伍整々門を開て発出す、

発するに先だち、令して曰く、

吾党の此挙を為すや、奸吏を殺戮して後来を戒め、豪戸の金穀を発して窮民に施与すれば足る、乱を好むにあらず、盗を為すにあらず、故に市人を殺す勿れ、貨財を掠る勿れ、背く者は罸せん、

と令託て、大に狼煙を揚て、之を四方に報じ、先づ火を自宅に放ち、次で傍近の諸家を焼き、南を望で進軍せり、

時に十九日の巳刻なり、

道に尚ほ人を馳て、火箭及び硝薬を、東西の両組屋敷其他天満の各寺院に投せしめて、之を焼たるを以て、須臾にして天満の全地は猛火の下に填まり、煙焔天を蔽て、昼猶ほ暗黒なるの状を現じたり、

跡部 山城守、堀伊賀守は、之を見て急に登城して、城代土井大炊頭に見え、事の顛末を稟し、兵衆を以て之を制するに非れば、禦(アタ)る可らざる事を以てして、其命を待てり、大炊頭は特に之を許し、別に定番遠藤但馬守に命じて、其部下の衆玉造組の与力同心を出して、町奉行に加勢せしめ、又大坂城には在坂の 諸大名の兵を催して、柵を建て、営を張り、厳重に守備なし、尚ほ羽檄を傍近の諸藩に飛して、其救援を求めたり、


『青天霹靂史』目次/その25/その27

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