Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.6.25

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大塩の乱関係論文集目次


『青 天 霹 靂 史』

その27

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

昌平越(こゝ)に二百年、人皆な耳に金鼓の声を聞かず、眼に剣戟の光を見ず、士は安逸を偸で、俗は驕奢を事とせしかば、一旦此変あるや、士衆狼狽錯愕して、出る所を知らず、其混雑実に名状すべからざる者ありき、

既にして平八郎は、衆を督して天神橋に至れば、堀伊賀守の正に其衆を将て、橋南を阨守するに会ヘり、因て砲を発して戦を挑めば、伊賀守も亦之に応じ、橋を隔てゝ交々砲戦する事暫時なり、砲声雷の如くにして、伊賀守の馬驚き跳り、伊賀守地に落つ、其兵驚惶して支る事能はず、伊賀守を擁して走る、

平八郎は勢に乗じて之を追躡せんとするに、予め南端の橋桁十余間を撤したるを以、て渡るを得ず、故に流に沿ひ、西に下て難波橋を渡り、北浜二丁目に出たり、因て平八郎は衆を麾して、鴻池三郎兵衛の家を破壊し、次に北浜一丁目に行て、島村市十郎の宅を蹂躙して、金穀を散放し、次に今橋二丁目に進で、鴻池善右衛門の家に発し、其家衆を逐て、此に休憩し餐を伝るの後、其倉庫を挙て破毀し、尋て火を家中に放たしめ、尚進で同町なる鴻池他次郎、鴻池正次郎、鴻池徳兵衛等の家を破り、南して高麗橋に至り、三井七右衛門の家を壊ち、又同町なる岩城屋某、島屋八郎右衛門等の家を破り、平野町に進で、内田惣兵衛、平野彦兵衛、平野佐兵衛、茨原屋万次郎、米屋喜兵衛、炭屋彦五郎等の家宅倉庫を破壊蹂躙し、悉く金穀を散放するの後、火を各家に放ちたり、

是時、鴻池庄兵衛の家に蔵する所の浮牡丹の香炉は、昔し明智光春の坂本城に自尽するとき、其焚滅に帰せん事を惜み、之を羽柴秀吉に贈りたる者なるが、此器及び古澗和尚の筆龍虎の対幅、及び細川幽斎三斎詠歌の短冊等燼滅せり、凡そ大阪の地、豪戸多しと称するも、其最も富有の徒の住する所は、高麗橋の四方数町の間に在るのみ、是間は比隣豪商にあらざるはなく、連して其富を抗したるに、今や平八郎が放火暴毀、一掃して之を空からしむるに至りし者は、即ち往日の怨に報ぜんとする者なり、


石崎『大塩平八郎伝』その118


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