島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
之よりして、平八郎は其衆を二軍に分ち、乃ち格之助に命して、一軍を率て東横堀を越て内町を暴掠せしめ、己は一軍を提て淡路町の堺筋に至り陣し、兵を休めて緩急の応援を為んとせり、
格之助は兵を領して平野町を渡り、内平野町に入て、米屋平右衛門、米屋長兵衛の家を焼き、南して豊後町に出でゝ、和泉屋勘次郎の家を焼き、北に転じて、今橋に如(ユカ)んとして、平野橋の頭りを過れば、乃ち伊賀守の兵を更て来り到るに会す、
格之助は猶予せず衆を卒て横に之を突撃すると雖とも、格之助の勢は既に疲兵にして寡少に、伊賀守の勢は新兵にして多衆なり、之に加るに、伊賀守は鋭意して前耻を雪んと欲するを以て、其利当る可らざるに依り、格之助は以て之を避るに如かずと為し、急に引て西に去り、平八郎の陣に合したり、伊賀守は其謀あらん事を恐れて之を追はず、
平八郎は、更に庄司義左衛門、渡辺良左衛門を以て先鋒となし、自ら全衆を将て之に継ぎ、格之助を後陣に備ヘしめ、進で平野町に至らんとすれば、遇ま亦山城守の兵を領して此に来るに会ふ、
平八郎大に悦で曰く、
奸吏山城守来る、願ふは之を獲るに在り、
と、衆を督して吶喊して進む、鋭気暴(ハナハ)た強し、山城守、兵を麾して之に当らしめんとすれとも号令行れず、披靡潰散して内淡路町まで敗走す、