Я[大塩の乱 資料館]Я
2003.7.9

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『青 天 霹 靂 史』

その29

島本仲道編

今橋巌 1887刊 より

◇禁転載◇

時に畑佐秋之助と云ふ者あり、遠藤但馬守の公用人たり、城代の命に依て但馬守は、組与力同心を挙て町奉行に加勢せしむるに当り、秋之助を以て其指揮役に任じたりしが、至是秋之助は、挺身其衆を激励して之を支んとするに依り、全衆も亦僅に止り戦ふに至る、

然るに平八郎の党人に梅田源右衛門と云ふ者あり、最も砲術に精し、是以て衆に挺でゝ砲手を指揮し、大砲を発射して頻りに敵陣を破りしが、今や適ま敵兵の止戦して、漸く将に勝を制せんとするの色あるを見て、憤怒に堪えず、又一撃を加ヘて敵兵を破らんと欲し、急に弾薬を装して之を発せんと擬するに当り、忽ち坂本鉉之助の狙撃する所と為て斃る、

鉉之助は大坂の砲術師範役たり、機敏にして銃を善くす、是役や鉉之助以為らく、源右衛門を撃たば余は恐るゝに足らず、煙蔽塞とするに乗じ、小銃を持して街頭の檐溜に沿ひ、眇視禹歩して徐ろに進む、源右衛門の従者あり、疾く之を瞥見して、亦銃を取て之を擬す、

本多為助と云ふ者あり、其危状を見て両声叫で鉉之助に報す、鉉之助顧みず、為助愈危で銃を挙て源右衛門の従者を狙ヘば、則ち鉉之助の丸已に源右衛門に中て、源右衛門の従者の丸、亦鉉之助の笠に中て止む、鉉之助銃を発して急に身を地に附す、故を以て免る、為助の丸中らず、

於是平八郎の衆大に潰ゆ、

平八郎も亦其支ふ可らざるを知り、引て、淡路町の堺筋に至り、其衆を顧みれば、僅に八十人に過ぎずして、亦大に疲労せり、

平八郎曰く、

吾の山城守を獲ざるは天なり、然れ共是挙に依て、饑民少く得る所あり、有司鑑戒め貨賂に耽らず、常に非違を警めて能く武備を講じ、民と休戚を同うするの心を発し、富商輩、驕奢の行を悛めて、質素慈善の風を起すべきや、必然ならんとす、果して然らば、吾事終れり、強て死戦するを要せざるなり、吾れ別に為す所あるべし、

と、其衆を解散し、腹心の士数人と夜に乗じて潜行し、八軒屋に至り、小艇を脅かして之に乗て、遂に踪跡を晦ませり、時既に夜戌の刻なり、

於是霹靂轟耀して蝗虫震駭する如く、奸吏驕商をして転た心胆を寒からしめたる暴挙も、今は全く已(ヤミ)、去て全街砲声なく、唯風伯暴を煽して祝融威を張るの一事を遺すあるのみなりき、


『青天霹靂史』目次/その28/その30

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