島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
初平八郎の事を企るや、家族に依て事の漏洩せん事を慮り、事に托して其妾ゆう及みねに幼子弓太郎、養女いく其他乳母雇婢等を携ヘ、前に般若寺村なる橋本忠兵衛の家に行かしめ、後ち伊丹なる額田幸次郎の家に至らしめて、家中に一の婦人を居かざりしが、十九日の夕べ、事敗るゝに及び、八軒屋に遁るゝの後、舟中橋本忠兵衛を呼び、嘱するに、此を去て伊丹に至り、妻子を刺殺して其辱を遺さゞらん事を以てしたり、
蓋し弓太郎はみねの生む所にして、年二歳、みねは忠兵衛の女なり、故を以て忠兵衛、事を領して伊丹に至ると雖とも、之を殺すに忍びず、之を携て潜行し、能勢の山を越て京都に如き、隠伏の所を求むる間、終に捕吏の捜索に遇て、京都の旅舎に捕ヘられ、向に護送せられて大阪に来りしなり、
至此、彼の死屍を出して之を見せしむれとも、其実にあらずと言ふを以て、為めに又関を諸方に置て、之を物色する事頗る周密を極むと雖とも、既に一月の日子を閲して猶ほ之を獲ず、因て亦訛伝百出、物情騒然として、城中常に戒厳したり、