島本仲道編 今橋巌 1887刊 より
又同日を以て、帥府は当時の大坂城代土井大炊頭を始め、事に預て労ありし者を賞与する事差あり、
而して、跡部山城守、堀伊賀守は、偵察密ならずして彼の如き大事を購成せしめ、一旦密訴を受るの後も緩漫、機を失て暴挙に及ばしめたるの罪は、職務を失する者なりと為して、其労を録せられず、
今一二の賞典を録すれば左の如し、
御坐之間
御刀 美濃国兼定 代金二十枚 土井大炊頭
去酉年、於大坂徒党之者共及乱妨候節、
御城内外警衛其外万端差図行届骨折候付、被下之、
右於 御前拝領之、
御鞍鐙 大坂御定番
遠藤但馬守
同断の節 御城内警衛巌重に行届、殊に町奉行為加勢として組之者共差遣候砌、
家来畑佐秋之助差添働方見届等之儀
申含候に付、組之者共身命を不顧相働
候段、一時の取計而已に無之、平常の心掛も宜敷儀と 恩召候、依之被下之、
右於御白書院椽側老中列坐、水野越前守申渡之、
御勘定吟味役
根本善左衛門
元御代官相勤候節、同断之節早速罷出、天満橋相固、其外所々消防、格別骨折候儀、一段之事に被 思召 此段可申聞旨 御沙汰に候、
右於御右筆部屋椽頬列坐、同前同人申渡之、